僧侶が散骨

家族というものは、生まれてから死ぬまで関わり続けるものであり、生きている間は家というものが集う基本の場所で、亡くなってからはお墓や仏壇が触れ合いの場所となります。

家族は親、子、孫…と伝承していくことが当たり前の考え方でしたが、今の時代は少子高齢化、人口減少が加速度的に進行し、後継者がいない世帯がどんどん増えています。

寺院は法事、葬式、お墓などの供養が主に運営の基本となっており、これからの時代、人口が減っていくということは、檀家が減っていくということです。檀家は何もしなければ減っていくものだという基本的な考えのもとに、檀家を増やす工夫、そして後継者がいない人の救済を真剣にやっていく必要があります。希望があれば散骨や墓じまいも受け入れないといけません。

私が散骨を始めた15年程前には、僧侶が散骨するなんてとんでもない、という見方をされていましたが、今は特異な存在ではありません。

散骨して終わりではなくて、供養の始まりであると常々説いています、散骨してもお盆の棚経に行くこともありますし、法事をすることもあります。後継者がいてもいなくても、亡き人とのお付き合いは何も変わりません。