供養とは
供養は亡き人に捧げる気持ちであると共に、
生きている者にとっての有意義な人生の指標になる必要があります。
供養の悩み
私はやすらか庵の僧侶とNPO法人の理事長をしている関係で、
寺院に関する相談や供養の仕方の相談をたくさん受けます。
皆さんがお持ちの悩みは、誰にも打ち明けることが出来ないで、
苦悩の日々を送っていたり、相談したにしても、見当違いの答えで、
却って混乱してしまっていることさえあるのです。
宗教というものは、人によっていろんな見方があり、
一つの悩みに対する答えも様々ですが、一つだけ言える大切なことは、
亡き人のことを最優先に考えることです。
亡き人は、口を利きませんし、文句も言いません。
だからこそ、亡き人の立場に立って考えないと、
自分達の都合の良い結論を導き出してしまうのです。
こういった大切なことを僧侶としても忘れてしまっている方がおられます。
自分のエゴのためであったり、お金のためであったり、楽するためであったりと、
亡き人を忘れた供養は、形だけのものであり、中身は真の供養ではありません。
また、間違った供養の仕方を実践している人は、
本当にもったいないことをしている訳で、
ある意味、そういったことも自ら招いたご縁であるのかなと思ってしまいます。
供養の相談は無料です
僧侶というものは、正しい仏法を広めるという使命があり、
そのことだけに専念しなければいけません。
供養というものは、お釈迦様の説かれた仏教ではありませんが、
私達が在家という立場で、日本の国の風土、自然の中で生まれ育ち、
延々と受け継いできた伝統や文化、民族の魂というものを感じた時に、
素直に敬虔な心があることは否定できませんし、むしろ大切にしなければいけません。
仏教の僧侶が土着の宗教の祭祀を行っても構いませんが、
土着の宗教の祭祀は、釈迦の仏教ではないという前提条件で布教する必要があるのです。
お墓を拝みに行って魂を入れたり、出したりしていることでも、
何故墓石に魂を入れる必要があるのかを説くことが大切です。
こういった解釈の問題も当然ありますが、最も多いのは寺院のお金の相談で、
それだけお寺さんが拝金主義に陥っていることの証拠なのですし、
皆さんの立場でも、お金を出したくないからお寺を離れたいとか、
遺産を少しでも多く受け取るために遺骨の争いをしたり、
また、借金をした故人になると、引き取り手がいないなど、
まさに魑魅魍魎とした、ドロドロの世界の中で争っているのです。
バカバカしい争いからは、一刻も早く抜け出さないと、魂が汚れるばかりです、
死人から無理やりはぎ取ったお金は、決して幸せになるためには使えません。
お金の争いで分裂した親子、兄弟は、そのような不幸を延々と繰り返します。
一時期の快楽を選んで永遠の不幸の結果になるか、
醜い争いを避けて、真の幸せになるかは、自分自身で決めること、
結果が見えてさえいれば、バカなことはしないはずです。
先が見えないからこそ愚かな選択をしてしまうのが、悲しいかな人間の性なのです。
相談は無料ですよ、別に難しい相談でなくとも、お線香は何本立てるのですか、
でも構いません、何でも気軽にご相談くださいませ。
相談専用電話
043-228-1480 やすらか庵 清野 徹昭がお答えいたします。