葬式のやり直し

都会に住んでいる方のほとんどが地方から出て来た方であり、若い時に単身で就職のために住み始めた土地であっても、長く住めばそこが永住の地になってしまうものです。

地方に残してきた両親もまだ自分達で自分の世話が出来るうちは、少々不便であっても住み慣れた我が家が一番なのですが、どちらかが先に亡くなって独りぼっちになったり、介護が必要になってきたりすると、都会に呼び寄せて、一緒に住むようになることがあります。

親孝行というものは、気が利いたことは中々出来ないものですが、それでも親子で過ごす時間にもやがて終わる時が来て、親を送るというのは子の宿命、来るべき時が来たら葬儀の段取りが待っているのです。

ここで登場人物をAさんということにしておきますが、Aさんはほとんど付き合いのない遠方の親族には連絡することなく、入院していた病院が紹介してくれた葬儀社の言われるままに仏式の葬儀で僧侶に読経と戒名を頼み、身内の者だけで簡単な葬儀を済まし、遺骨を入れた骨壺を家に持ち帰り、簡単な祭壇にお祀りしてほっとしたのも束の間のことで、納骨をどうしようかと考えた時に、地方の寺院にお墓があるから、そこに納骨しようと寺院に連絡したことから不幸が始まったのです。

地方の寺院(B寺ということにしておきます)ではB寺で葬儀をしなかったことに立腹し、B寺で葬儀をやり直して戒名を付ければ納骨は了承しますとのことで、葬儀のやり直しの費用と戒名料の合計50万円が必要だと言われました。既に葬儀は済ませ、相応の金額も支払ってますので、今更無理なことです。

Aさんとしては都会の生活が長かったので、自分の住む土地で葬儀を行い、親の宗派と同じ宗派の僧侶も頼み、ささやかながら満足の行く葬儀を行ったつもりです。更には親の故郷のお墓に納骨してあげようというのも自然な気持ちです。

B寺としては菩提寺であるにも拘わらず、親の死に関して何の連絡も無かったことや、地方寺院で檀家が減っていくという苦しい運営をしている中で、葬儀のお布施が入らなかったこと、戒名料が入らなかったことが寺院の運営に影響する事態なので、単なるお人好しでは寺院が破綻してしまうことへの危惧があることが怒りの原因なのですが、そういった事情など都会に暮らす者に分かるはずもありません。

AさんはB寺での納骨は諦め、都会の納骨堂を探していますが、それでも寺院との関係や今あるお墓をどうするかということに悩み続けています。

さて、亡き人の立場で言いますと、同じ宗派の他の僧侶に葬儀をしてもらい、戒名を頂いたとして、B寺に納骨するのに、死後の世界では拒否される理由は全くありません。亡き人の葬儀をするのに檀那寺の僧侶でなければあの世に行けないとか、檀那寺で付けた戒名でしか仏門に入れないということは決してありません。

しかしながら今更ではありますが、B寺には親の先祖のお墓がある以上、連絡はするべきでした。寺院のお墓は寺院の規則に従うことが大前提でありますので、例えば檀家以外の者は入れないとか、法事葬式を利用しないと入れないなどの規則があれば当然従うべきですし、実際問題として規則には無くても、住職のさじ加減で決まるということもあるのです。

寺院では亡き人の供養というものを続けることが大きな仕事です。その為には皆の協力が必要であり、こういったことを理解した上で寺院のお墓を利用すべきですし、それが嫌なら辞めるしかありませんが、実際は嫌だからと言う自分の意思で寺院から離れていく人が多いのは、「寺院に供養してもらっているから幸せな生活が送れている」という満足感が無いからだと思います。

それでも地方の寺院の住職は一生懸命にやっている人も多いものです、最近では交通費を払って地方の僧侶に来てもらっても、葬儀社に僧侶を頼むより安いということもありますので、連絡だけはしておきましょう。

B寺にしても、もうこのようなことは都会では日常茶飯事なのですから、臨機応変に対応しなければ、どんどん若い人が離れていきます。

地方にあるお墓が公営霊園でしたらこのようなことは起こりませんでした。全く何の問題も無い事であり、よくあることで、書類の手続きだけで納骨出来ます。当然誰からも批判されることはありません。

やすらか庵では、仏事相談の中で最近はこのような相談を多く受けており、寺院離れが加速していることを痛切に感じます。依頼する人も寺院でも、「亡き人の供養のため」というブレない観点からの対応が必要な時代です。