散骨は後継者の居ない方のお墓の代わりの選択肢として近年になって急速に普及していますが、散骨に関する法律や規則が無くて、散骨の定義が曖昧なままの状態で皆に受け入れられるようになりますとある意味「散骨って撒いてしまえばそれで終わりで後腐れ無くていいね!」という考えも助長しているのです。
釈迦は死後の肉体には執着をしてはいけないと説き、肉体や骨にこだわることは無いのですが、釈迦の入滅の時に菩薩・仏弟子・天部をはじめ多くの動物までが集まって嘆き悲しむ様子を描いた涅槃図は有名ですが、大切な方の死に際し、お礼を述べたり別れの言葉を述べたりして送り出すことが供養と言われるものです。
現代ではもう骨は要らないからと骨を処分する、捨ててくる散骨であっても違法ではありません。
しかし私達は亡き人を送り出すこともしますが、やがては自分も送られる身になるのです、その時にもう要らないからと手を汚さずになるべく早くゴミのように捨てられることに関しては、本当にそれでいいのでしょうか。
せめて「ありがとう」の一言だけでもあれば救われると思うのですが…
やすらか庵では散骨供養を実践しています。
お墓を否定しているのではありません、お墓があることはとても幸せな事なのです。