散骨供養

新型コロナの影響であまり出掛けないようにしているのですが、今日は散骨供養、道路を走っている車は少なめかなという程度でしたが、いざ海に出ますと新型コロナのことなどすっかり忘れてしまいました。

家に籠ってテレビのニュースを見ていますすと、怖くなって外に出るのも億劫になりますが、こうやって海に出ますと遥か彼方に見える都会では新型コロナの恐怖に人々が怯えている現実があって、未知の恐怖の前で何も出来ずに居て、毎日のマスコミの報道に振り回されてマスクを買い漁っていることが滑稽にさえ思えてきます。

目に見えないことだけに、何が正しいのか、何を信じれば良いのかが分からない中で溢れている情報は、ある意味鬱陶しいのですが、こういう時に何を信じるかは大いなる宇宙を動かす力であり、その中に居る自分なのです。

こういう時には祈るしかない、祈り続ければ神様が必ず何とかして下さる、これを信じて実践するのが僧侶の役割なのです。