散骨とは遺骨を粉状にして自然の中に散布することですが、現代社会に於いては遺骨を合法的に捨てるということにも利用されていますし、葬送の儀として厳粛に執り行うことも出来ます。
遺骨を捨てるような散骨は無縁仏を増やすだけであり、イメージや料金だけを競う、何の主義主張もない巷の業者が行っている散骨は危険です。
お墓というものが土に還るという本来の目的を失って、単なる遺骨の保管庫になってしまっていることの矛盾をそのままにして、墓に入れないと成仏出来ないなどの固定観念で縛り付けた結果として、無縁墓が続出し、墓じまいが話題になるのです。
お墓が土に還る場所で無くなった現代では、自然に還るための選択肢として散骨が受け入れられているのは、ごく自然な成り行きなのです。但しお墓には供養する場としての大切な機能があり、お墓を造らない散骨では供養としての散骨であることが大切で、儀式と祈りを伴って亡き人をお送りするのです。
散骨供養とは散骨してたとえ遺骨が無くても生きている者の務めとして供養を続けることが大切なのです。