無縁仏

今の日本の状況を表す言葉として、高齢化社会という言葉はよく耳にしますが、高齢化社会の次には多死社会が到来します。

多死社会とは、生まれてくる人の数よりも亡くなる人の数の方が多い社会のことで、高齢化を迎えた人達が次々と亡くなっていく社会です。

先日も梅宮辰夫さんの訃報が流れていましたが、私達の世代の憧れの人気スターも次々とこの世から消えていくことを思えば、私達の人生の終焉も間近なのかなと思うばかりです。

多死社会では人口が減っていきますので、国力は落ちて国際的な位置付けも落ちるばかり、もう我が国は先進国とは決して言えない時代に突入しているのです。

このような状況では生産力が落ち、ビジネスとしては老人介護、葬儀、死後の片付けなどのサービス業が増えるのですが、特に資格の必要の無い散骨はビジネスとしての参入が雨後の筍状態で、全く葬祭の経験や知識の無い者が参入して価格競争を始めるものですから、こういう業者に頼みますと確実に無縁仏にされてしまいます。

船を持っていても遊ぶお金の無い人達も小遣い稼ぎとして海の散骨に参入していますから、海の上は彷徨う無縁仏がたくさんいるのです。

こういう状況はあまりにもひどくて黙って見ている訳にはいきませんが、せめて騙される人が少しでも減ることを祈りながらも本来あるべき姿の葬送として、供養としての散骨供養を追及しているのです。