Q.何故散骨供養なのですか


A.高野山真言宗やすらか庵では、「散骨」ではなくて、「散骨供養」という言い方をしております。それは仏教の思想に基づくものであるという確信があるからです。

そもそも散骨とは、亡き人のお遺骨を粉状にして自然の中に散布することですが、我が国では人口の減少や少子高齢化、核家族化の進行により、後継者の居ない方が増え続け、従来のお墓では無縁仏になってしまう人が続出しています。

私は散骨の仕事に携わってから18年の歳月が過ぎようとしていますが、当初の散骨はまだあまり普及していなくて、法律違反などと言われていたものですが、現在では散骨が爆発的に普及し、散骨業者も届け出不要の手軽さから、葬祭に全く縁の無い業界からの参入が後を絶ちません。

こういった事情から散骨は単なる値段の競争であったり、質の悪いサービスであったりが目立ちます。特に遺骨を捨ててくるような散骨が目立ちますので、こういった散骨とは一線を画すために敢えて「散骨供養」としています。

散骨は供養であり、供養の始まりでもあります。散骨してしまえばそれで終わりではありません。始まりなのです。亡き人の遺骨は大自然に還りますが、魂とのお付き合いは私達が生きている限り続くのです。


僧侶が行う散骨の質疑応答エンター


前 散骨しても成仏できますかエンター

次 納骨と散骨は出来ますかエンター