喝

「喝」とは声がかすれる程の大声で叱ることで、禅宗では指導者が修行者に対して、導いたりする時に大声を出すことです。

たとえば子供や犬猫を叱る時に出す声は「コラ!」で、誰も「喝!」なんて言いませんよね。

はたして「喝」は仏教用語としてどのような意味があるのでしょうか。

禅宗で最初に喝を放ったのは中国の唐代の禅僧である馬祖道一(ばそどういつ)禅師(709-788)だと言われ、その弟子である百丈(ひゃくじょう)禅師(749-814)によれば「我れ当時馬祖に一喝せられて、直に三日耳聾するを得たる」つまり、私は昔、馬祖和尚に一喝せられて、三日間何も聞こえなかったとの伝承が残っています。

「喝」の一瞬に魂と全ての気力を込めて相手に飛ばせば耳が聞こえなくなる位の一喝はまさに修行の賜物で、それ程の喝を受けたらもう何も反撃出来ない事でしょう。

それほど禅の一喝はすさまじいものですが、「喝」と言ってもいろんな段階があって、最終的な段階としては大声を出さなくても、日常茶飯事の一挙手一投足が全て「喝」になることを目指すのです。

そこまでのレベルには私達は中々到達できませんが、自分で自分の心に喝を入れる訓練をすれば必ず役に立ちます。

やる気が無くてダラダラとしている自分に気付いたら、前身の全ての気力を集めてから「喝!」とやってみて下さい。

止まっていたものが動き出すかもしれません。