御利益とは
御利益(ごりやく)とは神仏を信仰することによって得られる恵み、幸運、恩恵などのこと。
御利益の由来
「利」は穀物を作るために耕すことで「もうけ」や「富」につながり、「益」は皿の上に水が溢れていることを表し、「増える」や「多い」の意味があります。
従って「利益」は富やもうけが増える、たくさんあることを意味します。
神仏は私達に起こる災難を防いで、富を与えてくれる存在なのです。
御利益は頂くもの
○○神社は学業の御利益があるらしい、○○寺の湧き水を頂くと目の病気に効くらしい、などの御利益が巷で溢れていますが、御利益を目的として寺社にお参りすることは実は邪道なのです。
御利益と言うものは、信心深い人に対して神仏が御褒美として授けるものですから、信心深くない人が突然、御利益を目的に参拝したところで、神様はそう簡単には御褒美を下さらないのです。
御利益の基本は「自分が得る」ものではなくて「向こうから頂く」ものなのです。
御利益を当てにしてはいけない
○○神社にお参りした人がどうやら高額の宝くじに当たったらしく、急にお金持ちになったので、自分も早速宝くじを買って拝んでもらおう。
末期がんを宣告された人が○○寺で拝んでもらったら治ったらしいので、私も行ってみよう。
昔から「困った時の神頼み」と言われ、どうにもならない時に最後に頼むのはやはり神様で、目に見えない力を頂くのは神様しか居ないのです。
しかし御利益ばかり当てにしていては、神仏は御利益の自動販売機ではありませんので聞いてもらえません。
神仏はある意味「御利益」という結果を見せることで、その人がどうするかということを観て居られるのです。
御利益は比較するものではない
宝くじが当たるのは○○寺より○○院の方が効くらしい、学業で有名なのは○○神社よりも○○天満宮だ、○○寺は昔は誰も参る人が居なかったけれど、今では厄払いの御利益がすごいらしい、などの噂が世間では流れていますが、御利益というものは比較するものではありません。
御利益というものは神様を信じる人が神様から頂いたご褒美ですから、最初から御褒美を当てにして、御褒美の大きい方に行くような考えは不純なものです。
御褒美というものは素直に喜べばよいだけで、比較するものではありません。
神様の力を比較するようなことはとても愚かなことです。
御利益は宣伝するものではない
街中で見かける看板は、出来るだけインパクトの大きい言葉を使うもので、「宝くじが当たる寺」のような看板を見かけますが、寺院は仏法を布教する場であり、宝くじを当てる場ではありません。
過激な謳い文句の寺社の看板には要注意です。
御利益の秘訣
神仏の御利益を得るためには自らの努力が必要で、何もしないで御利益だけを期待してもいけません。
日々の努力があってこそ神仏は認めて下さるのですから、自らの努力と、そして神仏を強く信じる信仰心が大切なのです。
どうしても達成したいことがあるのなら、「百度詣り」をするぐらいの覚悟が必要です。
毎日欠かさずに通い続けて百日間でやっと一つの百度詣りが完成するのです。
神仏に御利益を頂くための秘訣は「御利益など考えずに神仏に祈ること」です。
「自らの魂を向上させること」です。
御利益を当てにしたら、外れた場合にがっかりするだけで、努力することも放棄してしまいます。
御利益など当てにせず、只ひたすらに神仏にすがる気持ちがあれば、必ず神仏は救って下さるものなのです。
御利益など当てにせず、只ひたすらに魂の向上を目指せば、御利益以上の成果が自らに現れるはずなのです。