喫煙は呪縛です
喫煙の習慣は知らないうちにタバコが無いと落ち着かない、次のタバコのことを考えている、タバコが無いとイライラするという呪縛に縛られるようになります。
精神を蝕む
禁煙は仏教の修業とは直接関係ありませんが、今思うと喫煙という行為によって結構精神まで蝕まれていたようです。
というか、呪縛というやつですね。どれくらい縛られていたかは
- 朝起きたら一刻も早く吸いたくなる
- お勤めしている時に、早く終わって一服しようというズルい考えが浮かぶ
- 仕事している時にも一定時間が過ぎたら休憩して一服というズルい考えが浮かぶ
- 外出する時はカバンにタバコが入っているか確認しないと気が済まない
- 外出時のタバコの本数が足りているかどうか確認しないと気が済まない
- 家に帰れば家族の前でタバコを吸わないようにしているが、タバコを吸いたくなったら
仕事のふりをして外に出る - 家族で買い物に出かけても、タバコを吸いたい時には別行動する
- 夜になったら、次の日の朝のタバコが足りているか確認しないと気が済まない
- 次の日の朝のタバコが無いと判断したら、どんなに遅くても買いに行く
- 仕事を終えて帰る時には、もう翌朝まで吸えないからと余計に吸って
気持ち悪くなる
如何に精神的に呪縛されていたかが分かります。
修行の邪魔
これは修行するのに明らかに邪魔なものですね。
私は電子タバコを紙巻きたばこから全面的にチェンジするつもりで買ったのですが、ニコチンが少なくて吸ったような気がしませんでしたので、こんなもの吸うぐらいだったら止めた方が良いと判断して徐々に減らしました。
電子タバコのキットと箱で言うと1カートン分の葉っぱのカートリッジを買って、約1か月で半分吸ってから完全に止めました。
体に悪いのはもちろんのことですが、こんなにも精神的に束縛されているのですから、鬼に憑りつかれているのと同じですね、今でも時々「うまいぞ、ほら、吸え~」と脅されているのですが、相手にしませんので、やがて消えます。