家族とは

家族

家族とは婚姻関係で結び付いた夫婦、親子などの集まりで、同じ家の中で生活する関係です。

私達のルーツは全て家族

私達日本人の祖先は縄文人や弥生人の混血とされていますが、更に遡って沖縄県で発見された約2万年前の旧石器時代の湊川人の人骨をDNA分析した結果、私達日本人の祖先である可能性が高い事が分かったそうです。

人類のルーツであるホモ・サピエンスは約20万年前にアフリカ東部に現れたと言われていますが、定住することなく動物的な狩猟採集の生活をしていたにしても夫婦と子供という家族の単位を持ち、外敵から身を守るために集団で生活していた祖先たちの命が私達に確実に繋がっているのです。

現代のような家族の在り方ではなくて集団生活としての家族であっても、夫婦、親子の関係があるからこそ子孫が今まで続いてきた訳で、家族という形態が無くなれば子孫が途切れてしまうのです。

そういう意味では「父と母と子」が揃った家族は古代より延々と受け継がれてきたのです。

家族制度

地方の農業や林業、漁業などの第一次産業を主体とした家業で生計を立てている人達は、今でも3世代或いはそれ以上の世代が同居している大家族の形態で暮らし、大きな屋敷に同居もしくは広い土地に複数の家を持って近い距離で生活しています。

この場合の家業と家は長男が継ぐものであり、長男は家業を引き継いで家を守り、先祖の祭祀を行いながら家の伝統を守っていくのです。

大家族で暮らすメリットは年老いた者や子供でも時には臨時の労働力となって家業を支えることにより、困難を乗り越えやすいということです。

家族全員で家業を支えているのですから、皆が何らかの役割を持っているのです。

大家族の家族制度のデメリットとしては、家を絶やさないという事が最優先されますので、長男の結婚相手が決まっていたり、子が姉妹しか居なかった場合に長女の結婚相手を養子にするというように、望まない結婚を強いられることもあります。

嫁姑の仲が悪い時には嫁が我慢の連続でうつ病になったりすることがあります。

そして介護が必要になった時の親の面倒を見なければいけないという縛りもあります。

核家族

核家族とは親夫婦から離れて独立した子供夫婦がそれぞれ別々の場所で暮らすことです。

家業を持っている訳ではなくて、サラリーマン、会社員、公務員などの職に就いているので親から引き継ぐものが何もないことが大きな特徴です。

何の仕事をするかは全く自由であり、誰と結婚しても自由なので一切の束縛が無いという意味では、都会に暮らす人達の標準的な生活です。

また都会ではマンション暮らしの人も多く、自分達の持ち家という感覚が希薄であり、不要になれば売ればよいのですから何の縛りもありません。

都会では老後に周囲になるべく迷惑を掛けない過ごし方として、家を処分してホームに入所するという形が増えてきました。

地方に暮らす親が年老いて一人暮らしでは心配だからと都会に呼び寄せて一緒に生活するという暮らし方も増えています。

核家族は親から引き継ぐものが何もないという家族の在り方ですが、親が子を思い子が親を思う心や、祖父母が孫を思い孫が祖父母を思う心まで無くしてしまい、家族の絆まで無くしてしまっているのです。

子孫長久

子孫長久とは子や孫たちが将来増えていって絶えることの無い事を言います。

昔から誰もが願うこととして「不老長寿」と「子孫長久」があげられますが、健康で長生きし、たくさんの子や孫に恵まれることが幸せの理想の姿だったのです。

人としての幸せの理想は年齢と共に変わっていくものですが、人生の終盤に差し掛かった人達が一応に子孫長久を願うのは、自分が叶えられなかった夢を子や孫に託したいという気持ちと、もし自分がこの世から居なくなっても、自分の血縁である子や孫がこの世に残り続けることで命の輪がが繋がっていることを感じているからではないでしょうか。

人間、年取ってきますと子や孫を可愛がると共に、自分が出来なかったことを託すようになるものなのです。

動物の家族

食べることは生き物にとって生命を維持していくための大切な要素であります。

地球上の動物は弱肉強食の定めの中で生まれた瞬間から食べることにほとんどの時間を費やして、何日も食べ物にありつけなかったり、時には食べ物の争いで命を落としたり、他の生き物に自分が食べられたりする恐怖心から、常に外敵に対しては恐れおののきます。

そして野生の動物は休憩して寝ている時にでも襲われる可能性があることから、真の意味で休まること、安心ということが得られないのです。

ネコを見ていればよく分かりますが、外で自由に暮らす野良猫は、寝ていても人が近づけば目を覚ましますが、飼いならされた内ネコはだらしない恰好で寝ている時に近づいても目を覚ますことがありません。野良猫は常に外敵に襲われるという恐怖心があり、内ネコはその恐怖心が無いことによります。

そんな動物達にも家族があって、仲睦まじくじゃれ合うネコの親子などを見ていますと、微笑ましいものです。

しかし動物の家族はいつまでも一緒に居ることなく、すぐに別れて暮らしますので、親子関係は種の保存という意味合いが大きいのです。

家族の幸せ

私達人間は自分で狩りに出る必要が無く、お金さえあればいつでも世界中の食べ物を満喫できますし、コンビニやスーパーに行けば温かい物、冷たい物、主食にデザート、何でも揃っています。

食事に関する私達人間の特徴は、家族で食事を楽しむことであり、毎日のごくありふれた食事であっても会話があり、コミュニケーションしながら食事をして皆で満足感を共有することにより。幸せというものを感じることが出来るのです。

飢えることなく食事を食べることが出来る事が有難いことであるのに、誰かと共に楽しく食事が出来ることは最高の幸せであり、感謝しなければいけません。

家族揃って仲睦まじく食卓を囲む光景は私達人間の特権なのかもしれません。

幸せとは本当に普通に、ごくありふれた所にあるものです。たとえ一人であっても一人ではありません、神々の世界、そして亡き人の世界がすぐ傍にあるのです。

毘沙門天と家族

家族神

毘沙門天は妃の吉祥天と子の善膩師童子を伴って家族の姿の神です。

神仏の中でも家族の形態を成す毘沙門天は特異な存在ですが、天部の中でも敢えて家族の姿をとっているのは、毘沙門天が仏法守護と、私達人間の世界まで護っているという任務があるからであり、人間世界では家族の対立や不仲で問題を抱えている家族が多いことから、毘沙門天自ら家族の姿をとって救済そして教化の任務を遂行しているのです。

私達人間家族の抱える問題は仏法の難解な法を説くよりも、家族の在り方を具体的に説く方が分かりやすいのです。