家族神

我が国の人口は減少カーブを描き続け、高齢化社会が現実のものになって参りました。

高度経済成長の時代には若い夫婦と子供達の歓声が溢れていた学校、病院、スーパー完備の便利で快適な大型団地も、今となっては学校、病院、スーパーが全て撤退してしまい、不便な生活に耐え忍ぶ老人しかいない団地になってしまいました。

一人暮らしのお年寄りの方は、万一亡くなっていても周囲の人に気付かれないということもあり、お年寄りがお年割の安否を確認して回る世の中です。

これからは人口が減っていく弊害が顕著になります。国として経済、産業の衰退、固有伝統の喪失、財産の流出、文化の流出などの問題です。個人としては墓じまいもそうです、散骨もそうです。

人口の減少に伴って、後継者がいないという問題は、家が絶えていくということになり、家が絶えることによって先祖から受け継いできたものが失われるのです。

私達は古来より長い時間をかけて先祖からの魂を受け継いできましたが、次の者に引き継ぐことなく今の代で終わろうとしているのです。

このような衰退していく雰囲気の中では「これで終わりだからもういい」という諦めの心になってしまいます。諦めも悟りであり、大切なことです。

しかし命の灯が消え行くまでの間にでも、より良き生き方をしようと思うのなら、今一度家族の大切さを思う事を毘沙門天は妻の吉祥天女と子の善膩師童子と共に私達に訴えかけているのです。

これからは毘沙門天信仰が重要な役割を果たします。今この時代に私達が忘れ去ろうとしている大切なことを気付かせてくれるのです。

たとえこの世に一人になっていても、亡き人も含めて家族です、決して独りぼっちではありません。

今回の仏画は高野山真言宗やすらか庵での毘沙門堂にお祀りしてある毘沙門天、吉祥天女、善膩師童子を描いたものです。