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親の脛をかじるとは
「親の脛をかじる」とは、大人になっても自立することなく、親に生活費を出してもらうなどで養育してもらっていることです。
親の脛の理由は
昔から言われている「脛1本、腕1本」とは自分の体以外に頼めるものが無いことですが、腕も脛も働くための大切な部分です。
お金のことを「お足」と言ったり、「自分の足でお金を稼ぐ」などの言い方があるように、多くの人は走り回ってお金を稼いでいるのです。
12月も暮れになりますと「師走」と言って師僧が年末になって供養の読経のために走り回り、或いは御師(おし)と言われ、特定の寺社に所属して、その寺社への参詣者の参拝・宿泊のお世話をする人が年末になって忙しく走り回ることを師走と言うそうですが、足はお金を生み出す道具でもあるのです。
親の脛をかじるとは、親が走り回って稼いだお金で子が生活することで、古よりある言葉なので、昔から親の脛をかじって生活する人は居たということなのです。
親の七光りとは
親の七光りとは権力を持った親の子がその権力の恩恵を受けることで、大会社を経営する親の子が、親の力によって重要ポストに就いたりすることです。
親の七光りの場合には子は親の恩恵を充分に受けて、能力以上の地位に就いたりしますが、それでもある程度の本人の努力は必要であり、会社を引き継いで発展させていこうと思えば、親以上の努力が必要なこともあるのです。
親の七光りで出世して尚且つ親の脛をかじっているようでは、会社の運営状況はどんどん傾いていきます。
親の遺産を食い潰すとは
親が残した莫大な遺産を引き継いだ息子はお金を湯水の如く使ってしまい、気が付いたら遺産がすっかり無くなっていたということがよくあります。
親が子のために良かれと思って蓄えた財産をどのように使おうとも本人の自由ですが、すっかり使ってしまい、挙句の果ては借金まみれになって一家離散ということもよくある話です。
お金というものは親の金は子のために、子の金は孫のために使うものです。
自分のものだと思って使ってしまうのは愚か者のすることです。
親心(おやごころ)とは
何処の世界でも親というものは、子供に対して幸せになって欲しいと願うのが世の常で、子のことを心配するあまり、支援したりお金を出したり、時には子が起こした問題の後始末まで走り回るものです。
その親心は本来、とても有難いものですが、時には子の自立を大いに妨げることになってしまいます。
何でも親がしてくれると思っていたら、何時まで経っても自立することが出来ないのです。
自立とは
自立とは自分で働いて自分の生活が出来るようになることです。
自立の仕方
自分で生きていくためには、人のお金や援助を最初から当てにしていては失敗します。
誰の助けもなく生きていけるように努力するすることが大切で、コマで言いますとクルクルと安定して回っている状態で、コマが立った状態のことです。
コマが立った状態を維持していくためには紐で打つことで、紐で打つことを人にしてもらうのではなくて、自分で行うことが自立です。
生涯独身の人でも自立している人はたくさん居ますし、普通は結婚して家庭を持って初めて親から自立するものです。
自立は親の支援を全く受けないということではありません、普段は自分の稼ぎで親に支援されることなく自立していて、家を建てる時に支援してもらったとしても自立に変わりはありません。
例えば家を建てる時の準備金は親からの祝い金でもありますし、親と同居するために建て直すのに親が全部出してくれるのなら、それは気持ちとして有難く受け取ればよいことです。
自立できない悩み
子はだれでも、親から支配されているという征服感の観念を打破して自立心を備えるために、成長期において反抗期を経験するものですが、時には圧倒的な力を持った親に何時までも逆らえないことがあります。
親が怒鳴る、暴力をふるうなどの行為が怖くて、おとなしく従うというパターンです。
また病気や精神的な病のせいで仕事が出来ない、仕事をしてもすぐに辞めてしまうなどの方もたくさん居られます。
何時までも親から援助されていることを人には言えない、友達は皆自分で働いている、人からだらしないと思われるのが嫌だ、人生の目標が持てない、などで自立出来ない悩みを抱えたままどうにも出来ない人は意外と多いものです。
人によっては自分で働く気持ちが無いのに、親が支援することに嫌悪感を抱き、親が面倒みるから自分がダメになるという気持ちにさえなってしまうのです。
世の中の真の姿
世の中の真の姿、真の自立は、実は自分だけの力ではなくて、多くの人の助けによって成り立っているのです。
スーパーで野菜を買って、自分のお金で買うことが出来たから自立だと思っていても、その野菜は作る人、運ぶ人、売る人などの多くの人の支えと神の導きによって買うことが出来たのです。
天の世界の自立
自立を「自分一人の力だけで生きている」と思っている人はある意味正解ですが、例えば天の世界の自立は、他を思うこと、支えることによって成り立っているのです。
天の世界では、食事の時は自分の箸で自分で食べるのではなくて、人に食べさせて、人の喜びが自分の喜びになるそうです。
それを思えば私達の世界の自立なんてスケールの小さなことなのです。
天の教えは…毘沙門天信仰
天の開運法は…毘沙門天開運法
親に感謝
親は自分にとって最も近い肉親です、本能的に子を守ろうとするのですから、その気持ちに対して素直に感謝することです。
脛をかじることは悪いことでない
親の脛をかじることは悪いことではありません、むしろそういう親が居るということに感謝すべきです。
脛をかじれる親が居る人は大変に恵まれた人であり、大抵の人は自分のことは自分でしないといけないのです。
しかし何時までも親の脛をかじってばかりいると
- 親に仕送りしてもらっているなんて人に言えない
- 人からマザコン、ファザコンと思われている
- 責任ある大人だと見てくれない
人からはこういった見方をされてしまうのです。
親の脛をかじってばかりいる人は案外親に対する感謝の気持ちを失くしてしまっている人が多く、支援してもらっていても「余計なことばかりして」などと思い続けることは良いことではありません。
どうせ親の脛をかじるのであれば堂々とかじれば良いのであって、感謝の気持ちをしっかり表せば良いのです。
このままでは良くないと思う方
親からの仕送りや支援に対して多くの人がこのままでは良くないと思っていますが、それは人からだらしない人間と思われたりするからだけではなくて、親というものが何時までも生きていない存在だからです。
親が死んでしまったら今の生活が維持できるだろうか、と考えた場合にそれが無理であれば、来るべき将来は恐怖以外の何物でもありません。
天の教え「感謝」
親が余計なことをする、と思う前に「ありがとう」の言葉を素直に言うことです。
心の中で思っているから言わなくても分かっているではいけません。
言わなければわからないのです。
「ありがとう」の感謝の言葉を述べれば、それだけでいろんなことが良い方向に向かいます。
言う言葉は「いつもありがとう」でも「ありがとう」だけでも構いません。
「ありがとう」は言霊であり、不幸を幸福に変える不思議な力があります。
それも一回言っただけではダメで、何回も何回も言わなければ効果が現れません。
「ありがとう」を言うのも大切な修行だと思って下さい、騙されたと思ってやってみて下さい。
お金が特別にかかるようなことではありません、物事が劇的に良くなるまじないです。