毘沙門天信仰

-自分の事しか考えないことが対立の始まり-

例えばあなたが車を運転していて道が凍結していてスリップし、

対向の車とぶつかってしまいました。

お互いの車から降りてきて、最初の一言はどれにしましょうか、

  • あ~どうしましょう
  • 私の車が台無しだ
  • あなたが悪い
  • 私は悪くない
  • 警察を呼びます
  • ひどい運転!
  • 下手くそ!
  • そっちの方が先に止まらないと
  • 自分は先に止まった
  • 危ないだろ、いい加減にしろ
  • 弁償してくれないと困りますね
  • 保険入ってますか
  • あなたの免許証見せてください

まあ、だいたいどちらにしても思いがけない事なので、

気が動転して、お互いこの程度のことぐらいしか言えないものです。

冷静にと言われても無理かもしれませんが、

こういう時にこそお互いの本性が出て来るものなのです。

本性が出るということは、お互いに自分の事しか考えていないということで、

相手のことを思うということが出来ない状態なのです。

「申し訳ございません、失礼いたしました」、「お怪我はされていないですか」

こういう相手を思う会話から始まれば、事はうまくいくのですが、

自分の事しか考えていなければ、最後には取っ組み合いの喧嘩にもなりかねません。

もちろん警察も保険屋さんにも連絡するのですが、

良い悪いをお互い言いだしたら、本当に喧嘩になってしまいます。

最終的には第三者に審判を任せるとして、

事故という時には、良い悪いは別にして、

まずは相手の怪我がないかどうか心配して差し上げましょう。

毘沙門天信仰は相手を思う信仰です。

自分の事ばかり言っていたら叱られます。