成仏

成仏とは煩悩を捨て去って悟りを得て、輪廻転生の世界から抜け出て仏の世界に生まれ変わることで、生きている人間が仏になることは大変に困難なことですが、釈迦は難行苦行の試練を乗り越えて生きがらに成仏された実在の人物です。

私達の世界ではこの世から消えてあの世に行くことを成仏と言い、仏になったという言い方をしますが、仏になるには天寿全うして旅立つことを理想の姿としており、天寿全うとは与えられた人生を全て使い切ってあの世に旅立ったということです。

物にも成仏というものがあるとすれば、最後まで使い切った姿であり、この手箒はまだ現役で使っていますが、もう20年近く使っていて、掃く部分の長さが極端に短くなってもう柄の部分のみになってしまいましたが、それでもまだ使っています。

この手帚は毛先が硬いので汚れがこびり付いた所を掃除するのが得意であり、掃除する度に長さが確実に短くなりますが、もう少し使わせて頂いて、成仏のレベルにまで達したら感謝の気持ちを込めてお焚き上げ供養の火に入れて完全に成仏して貰おうと思っています。

これは一昔前でしたら風呂の焚き付けに使えば良く燃えますので、最後の最後は風呂に焚かれて人様のお役に立ってこれまた成仏といった道を歩んでいたことでしょう。

最後の最後まで綺麗に使えば、たとえそれが物であっても生まれて来た甲斐があったということになるでしょうし、私達の心の豊かさにも繋がるものです。

2012年、地球環境の議論をするためにブラジルのリオデジャネイロで開かれた国際会議で南米ウルグアイのムヒカ大統領の言った言葉「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないことです」は今でも私達の心に響きます。

欲望というものは次々と湧き出てきて、満たしても満たしても新たな欲望が湧いて来て満足することが無いのです。

仏教では欲望を喉の渇き「タンハー」と捉えて、喉が渇いた時に水を飲んで渇きが収まっても、また暫くしたら喉が渇いて水を欲しがることを繰り返していると説きます。

物を最後まで使い切ることは、無限の欲から脱出するためにの糸口になるかもしれません。