どんど焼き

お焚き上げ供養という宗教行事をしていてふと思う事は、最近は屋内、屋外に於いても火を使うという事が無くなってきたことです。

私が高野山大学に行っていた頃は高野山の中腹の古い旅館の跡を貸して頂いた関係で、大学の授業が済んで帰る時には御札製造所から廃材を貰って来てまず薪の五右衛門風呂を沸かしながら台所のかまどでは薪で羽釜のご飯を炊いていたものでした。

学校から帰って風呂やご飯を焚いたら、それだけで結構な時間がかかり、また土日には畑をしていたので、勉強する時間がほとんどありませんでしたが、今となっては良き思い出です。

風呂を焚く時の火やかまどの火はずっと見ていて飽きませんし、集中できると言いますか、その世界に引きずり込まれる魅力があり、火には昔から神が宿るという神聖な一面があるからではないかと思います。

夏のキャンプファイヤーで男女が本音の話しが出来たということも、神としての火の作用がそうさせるものであると思います。

昔の台所には火の神の御札(三宝荒神)がお祀りされていたものでしたが、オール電化の家には三宝荒神様の居場所がなくなってしまいました。