僧侶が行う森の散骨供養とは

僧侶が行う森の散骨

大地に還りたいと言う方のためにやすらか庵が所有する森の一部で僧侶が御伴して行う散骨供養で、亡き人の供養のために読経供養をする葬送の儀です。

やすらかの森とは

やすらかの森は千葉県房総半島の中ほどにあり、やすらか庵が所有する約1万坪の山林です。

自然の復元力の範囲内で散骨供養を受け付けており、一緒に参加する立会散骨供養と参加しない委託散骨供養があります。

立会散骨供養は、朝10時に遺骨をやすらか庵に持って来て頂ければ立会で仏式の粉骨供養、そして読経を伴う散骨供養し、午後1時半には終了いたします。

自然に任せる散骨供養

我が国では亡き人を火葬して骨壺に入れて持って帰るという習慣はおそらく今後においても変わらない習慣として残り続けることでしょう。

遺骨が骨壺に入っている以上、たとえお墓に納骨したとしても、永遠に自然に還ることはありません。

借りたものをお還しするのが散骨供養

私達の肉体は直接的には両親からもらったものですが、生まれる時に宇宙の構成要素である地・水・火・風・空の

それぞれをお借りして誕生したのです、地・水・火・風・空とは

  • 地…土の要素 脂肪や筋肉・骨などで、死んだら土に還ります、
    火葬するとほとんど灰(土)になり、骨が残りますが、
    骨も土に埋めると長い時間をかけ土になります
  • 水…水分の要素 血液や体液などで、死んだら水に還ります、
    火葬すると煙突から出て行き雲になります
  • 火…体温の要素 生きている時は温かいですが
    死んだら体から火の要素が出て行って冷たくなります
  • 風…空気の要素 酸素を取り込み二酸化炭素を排出します。
    体内のガスなど、死んだら体から出て行き、火葬でも体内のガスが煙突から出て行きます
  • 空…空間や心の要素 体の分だけの空間は死んだら必要なくなり、
    そして生きている時に宿っていた心は死んだら抜け出して旅だちます

であり、五大要素と言います。この宇宙は全て五大要素から成り立ち、常に形を変えながら変化を繰り返し、元に戻ったり、結合したりして、循環しているのです。

地球もこの大宇宙の循環の法則に従い、誕生の瞬間から崩壊に向かって長い旅を続けているのです。

私達の体も同じこと、地球上の生命は皆、永遠にこの循環を繰り返しているのです。

循環の法則

例えば私達の体内にある血液や体液は、死んで火葬で焼かれると、蒸気になって煙突から出ていき、空にのぼっていきます。

やがて雲となってはるか遠くの場所で綺麗な雨になって降るのです。

もしかしたら、栽培されている野菜の葉の上に落ちて、吸収されて誰かに食べられるかもしれませんし、山奥に降り注ぎ、長い時間をかけて川の流れになって、やがては大海原を旅するかもしれません。

あなたが今飲んでいる水も誰かの体の中を通ったかもしれない水なのです。

これが循環のシステムであり、たとえどこかで汚れたにしても、空や海や土の中で浄化されてきれいになることを繰り返しているのです。

私達の体はたまたまそこにあった五大要素をお借りしてできたものです。

私達の体は魂の乗り物であり、乗り物が動かなくなってしまったら、次の乗り物を求めて旅立つのですですから、肉体には執着する必要は全くないのです。

寿命がきたら丁寧にお返しすればよいのです。

動かなくなった乗り物にはもはや魂が付着していることなど無いのです。

骨には魂は付着していません、骨は神様ではありませんから、拝む必要ありません。

拝むのであれば、私達に目に見える形で、楽しい思い出を作ってくれた故人の、いとおしい体を提供してくださった大きな力と、私達に命をつなげてくださったご先祖様に、感謝の気持ちを込めて拝めばよいと思います。

よく考えてみれば、水や火・風・空の要素は完全にお返しして何とも思わないのに、骨だけにこだわるのはおかしなことです。

自分の物など一つもない

生きている時には自分の物だった家や財産も死んでしまえば自分の物ではなくなります。

死後の世界には物だけではなく、愛する人や家族も連れていくことは出来ません。

自分の物と思っていた物も、実は生きている時にただお借りしていただけの物なのです。

自分の体だってお借りしていた物なのです、私達はただお借りしたものをお返しすればよいだけのことです。

骨壷に入れて保管していては、いつまでもお返しすることはできません。

自分の体を自分の物と思うと、返したくないものですが、自分の物なんて一つもありません。

たまたま自分の所にあるだけで、いつかは自分のものではなくなるのです。

自然の流れにすなおに身を任せれば、またいつか与えてくださるものなのです

五輪の塔

五輪の塔とは

お墓で見かける五輪の塔は地・水・火・風・空を表しており、私達の肉体も魂も大宇宙の中で循環していることを表しています。

大自然の原理というものは、何時の時代にも変わらずに存在し、変わらないものだけが法として残り続けるのです。

還すのなら綺麗に丁寧に

私達の肉体は大自然からお借りしたものです、返すのでしたら綺麗にお返しいたしましょう。

私達は誰かにお借りしたものをお返しする時に、礼儀というものがありますよね。

大体において、借りるということは使うということで、使い方によっては古くもなりましょうし、ボロボロにもなりましょうし、損傷しているかもしれません。

貸してくださる方はそういったことを承知で善意で貸してくださっているのですから、なるべく綺麗にして、お礼の気持ちを込めてお返ししないと失礼にあたります。

しかし、私達は体に関しては大抵はボロボロにして使い物にならなくなって返すものですから、貸してくださった方もさぞやがっかりものでしょう。

自分の体は自分の物ではない

皆さん、自分の体だから、自分のものであって、自分がどう使おうと私の勝手でしょ、と思われることだとでしょう。確かにどう使おうと、誰にも文句言われないという意味では自分の体は自分のものです。

そういう方は誰の世話にもならずに、自分だけの力で生きて、自分の後片付けも自分でやりましょう。

大体において、自分の力だけで生きていると思っていたら、何をやってもうまくいかないものであり、いろんな方々に支えられていると感謝の気持ちを持つことが出来る人は、何をやってもうまくいくものなのです。

お借りしたものをお返しする基本は「借りた時より綺麗にして返す」です。しかし、実際にはこのようなことは出来ませんよね、

私の体でも、もうボロボロですし、修理不可能、出来ましたら新しいものを買ってお返ししたいものですが、そうはいきません。

しかし、たとえボロボロになったものでも、気持ちのいい返し方というものがあるはずです。それは、

  • お礼を述べる
  • 借りたことによって有意義だったことを述べる
  • 借りたものを洗ったり磨いたりするぐらいのことはする
  • 貸してくれた人の家の庭の掃除くらいはする
  • 貸してくれた人はボランティアでやっているので、その手伝いぐらいはする
  • 貸してくれた人に協力する

ここで言う貸してくれた人とは、大自然のことです。

基本的に自分体は自分でお返しすることは出来ませんので、親の体を自分がお返しして、自分の体は子供に返してもらわないといけません。

自分以外の者という意味では、親子でも夫婦でも兄弟でも構いません。

散骨供養を行う人は、こういったことを良く理解した上で行わないとただ処分するだけの散骨供養になってしまいます。

やすらかの森での散骨供養

やすらかの森

千葉県房総半島の中ほどに「やすらかの森」があります。

気候は年間を通して温暖で太陽の光が心地よく降り注ぎ、鳥の声が響き渡る静かで穏やかな所です。

やすらかの森は開発の計画が無い自然の宝庫で、安定した地盤の上にあり、東日本大震災でも全く被害はありませんでした。

あるがままの自然は様々な動植物を育成し、地球環境の浄化にも役立っています。

やすらか庵(安羅迦庵)では森を守りながら大自然に還りたい方の散骨供養のお手伝いをさせて頂きます。

あるがままの樹を利用した、樹を植えない樹木葬です。

散骨供養はお墓ではありません

やすらかの森散骨供養はお墓や霊園ではありませんので、土地を分譲したりはいたしません、森の散骨供養では埋葬いたしませんので、木の根元に撒くだけでございます。

散骨供養した後は大自然にお任せいたしますので、あとは静かにしておくのが一番です。

盆や彼岸などに定期的にお参りする場所ではありませんので、どうしてもお参りしたい人は、お墓を買ってください。

自然にお任せ

やすらかの森で散骨供養を始めてから10年ほどになります、自然の状態をよく観察しながら、散骨供養は何度もお休みしました。

しかし、長年見ていたら、散骨供養した所に落ち葉が舞い、微生物に分解されていきますので、5年も経つともうほとんど分からないという状況になっています。

自然の営みは自然にしか出来ないこと、決して私達にまねのできないことなのです。

自然の回復力というものは、とても素晴らしいもので、こういった状況をよく観察しながら、自然に負荷のかからないように時々散骨供養を休ませたりしていますし、同じ所には散骨供養しないようにしています。

やすらかの森は約1万坪ありますので、自然の植生が良く保存され、極力余計な手を加えないようにしています。

自然にお任せということを大切にしていますし、踏み荒らされてはいけませんので、見学はご案内出来ませんし、お参りは出来ません。

お参りしたい方は、お墓を買ってくださいませ。

また霊園ではございませんので、看板などは一切ありませんし、元々自然を守るための保安林という目的、そして修行のための森という役目がございますので、場所の公開はしておりません。

やすらかの森は千葉県房総半島の中ほどにあり、気候は温暖で低くてなだらかな山並みが続き、静かな環境で、そのままの自然があります。

散骨供養のお申し込みは

お申込みフォームは…僧侶が行う森の即日散骨申込み

まずはお電話でお問い合わせください、悩み事、困りごとがありましたら、まずは解決してからゆっくり散骨供養しましょう。

電話はフリーダイヤルのアイコン0120-655-480 やすらか庵

☆やすらかの森の委託散骨供養は5万円です(遺骨が1体の場合)

☆やすらかの森の同伴散骨供養(ご一緒に参加する散骨供養-その日の内に粉骨供養と散骨供養)は10万円

散骨供養は亡き人本人が自分の事をするものではなく、後継者の方や夫婦、家族の者などが行うことであり、どのようにしてあげたら良いのか分かりにくいものです。

「こうすれば喜んでくれるでしょう」ということを手探りで行うしかありません。

最高に喜んでもらえる方法を存じ上げております。

悔いの残らないようにいたしましょう。

事前に仏殿にて読経することも可能です。

散骨は供養です