悲しみ
私達の感情にはプラスの感情とマイナスの感情があって、プラスの感情の時には喜びに満ち溢れますが、マイナスの感情の時には気持ちが沈んで泣いたり表情がこわばったりしていることを悲しみと言います。
悲しみの仕組み
私達が喜んだり悲しかったりするのは因果応報と言って原因があって結果が出ている訳で、嬉しいことがあれば心が喜んで嬉しい顔の表情になり、辛いことがあれば心が悲しんで悲しい顔の表情になるのです。
嬉しい時には顔だけではなくて体の動きまで軽くなりますし、悲しい時には体の動きが止まってしまい、何も出来なくなってしまいます。
感情というものは心で感じていて、絶対的なものではありませんから、一つの現象に対して嬉しいと感じる人も居れば、何とも思わない人も居ますので、価値観や環境などに左右されるものなのです。
私達が嬉しいか悲しいかは、私達の心が決めていることなのです。
悲しみの顔の表情
私達が悲しい時にはまず最初に顔の表情に現れます。
眼も口も閉じて顔の血色が悪くなり、悲しみが極まれば涙が出て、鼻水が出て、顔がぐちゃぐちゃになって泣くのです。
ところがあまりに悲しすぎると涙が出ないようなこともありますが、ショック状態で体が麻痺していることによります。
ショック状態で何も出来ない事もありますが、心で感じた悲しみを脳が検知して悲しみの指令を体の各部署に送るようになっているのです。
悲しみの身体の変化
悲しい時にはまず顔に悲しみの表情が出て泣き、更には体を支えている力が失われて、うずくまってしまったり、人によっては倒れてしまったりすることもありますが、何も出来ない状態になってしまいます。
大切なご主人を失くした妻がショックのあまり倒れこんでしまったり、力保失くして座り込んでしまうのは仕方のないことで、体の制御が効かなくなり、本当に何も出来なくなってしまうのです。
悲しみの原因
悲しみの原因は人によって違いますが
- 大切な人やペットが亡くなった
- 失恋した
- 受験に不合格
- 裏切られた
- 騙された
などで大切なものを失ったり失くしたりしたことが伴う時に悲しくなるのです。
映画の悲しいシーンで涙が出てくるのは、主人公の立場になりきっているからです。
友人が泣いている姿を見て自分ももらい泣きをしたりしますが、悲しさの感情は人に伝わるものなのです。
時には何も失っていないのに悲しくなることがあります。
それは人生のはかなさを感じたり、自分の小ささを感じたり、只単に夕陽を見ているだけで急に悲しくなる現象ですが、「もの悲しい」という表現になるのでしょうが、何となく悲しい、切ないという悲しさもあるのです。
悲しみを乗り越えるには
地球上で数ある動物の中でも人間は感情を豊かに表現出来る生き物です。
嬉しい感情もあれば悲しい感情もあるのですから、感情は思い切り表現することで発散されて精神の安定が保たれているのです。
楽しい時には思い切り喜び、悲しい時には思い切り悲しんで、過ぎ去った後には安定した穏やかな状態になれるのです。
悲しい時に悲しむことを思い切りしなかった人は精神の安定を保つことが出来なくなり、精神的に不安定な状態になり、楽しい時も楽しめなくなってしまいます。
悲しみを乗り越える一番良い方法は、思い切り悲しむことなのです。
悲しみを避けることを考えるよりも悲しみが来た時に思い切り悲しむことの方が大切です。
仏教と悲しみ
仏教では「仏の慈悲」と言いまして、仏様が持っている心を表したのが「慈悲」です。
「慈」とは相手の苦しみを取り除くこと、もの悲しいは相手に楽を与えることで、仏の仕事は抜苦与楽(ばっくよらく)と言われています。
仏の世界では「悲」は悲しむことではなくて相手に幸せを与えることなのです。
私達は何か大切なものを失った時に悲しくなりますが、仏の世界では相手に差し上げるばかりで「失った」という考えは全く無く、相手に与えることで相手が喜ぶ姿を見て、それが嬉しいのです。
食べ物が無い戦争中の時代には親が食べ物が無くても子供にだけは食べさせていたものです。
親が子供に食べ物を食べさせて、自分が食べることがなくても、子供の満足した顔を見ることが出来ることが嬉しいのです。
これが仏の心であり、今の私達が失いかけている心なのです。
仏の慈悲の実践、抜苦与楽の実践をしていれば、失うことが怖いことではなくなってくるのです。