責任のなすり合い

新型コロナウイルスは世界中に伝染しWHOもパンデミック宣言を出しましたが、このような非常事態になって厳戒態勢が敷かれると私達の仕事や生活に影響し、ウイルスとの戦いの他に株価暴落や倒産などのウイルスによる経済への影響との戦いの二重苦に国民全体が巻き込まれてしまいます。

世界的な損失はまだこれから膨れ上がるので未知数ではあるものの、未曽有の損失を世界中が受けることになり、もし誰かのせいであるとしたら世界中から損害賠償を請求される可能性もあることから、発生国である中国外務省の報道官が「この感染症は、アメリカ軍が武漢に持ち込んだものかもしれない」とツイッターに投稿したように、責任をなすり付ける始末です。

『中阿含経』巻第60「箭喩経」には「毒矢の喩え」と言われる釈迦の説法があります。

ある人が毒矢に射られたとしよう。その人の友人や家族は医者に見せて早く矢を抜き取ろうとする。しかしその本人が『矢を射た人はどんな身分か、何という名前か、どういう苗字か、背が高いか低いか中くらいか、肌は何色か、どこに住んでいるのか、それが分からないうちは矢を抜くな』と言ったらどうなるか。
あるいは、『どんな弓か、弦は何でできているのか、矢はどんなもので付いている羽はどの鳥の羽か、それが分からないうちはこの矢を抜かない』と言ったなら、どうなると思うか。その人はそれを知らないうちに死んでしまうだろう。

毒矢が刺さった人にはすぐに毒矢を抜いて治療に専念することが大切であり、今は誰が撃ったかとか何処から飛んできたかということを議論している場合ではないのです。