失敗を隠す心

人は自分が何かの失敗をして、その失敗が誰かに責められる或いは自分に不利益になることが予測される時には、その失敗を隠そうとする心理が働きます。
プライドの仕業

私達の心の中には自分の考えや行動が
- 他の人よりも優れている
- 正しい
- 間違っていない
と思うプライドがあって、間違いを人から指摘されることはプライドを傷つけられることであり、自分の間違いを認めようとしない心が働きます。
プライドが高い人は絶対に自分の失敗を認めようとしません。
仮に自分の間違いに気付いた時であっても、その失敗について責められる或いは責任を取る、謝罪するようなことは自分自身の評価を下げて恥ずかしい思いをしなければいけないと思えば、何とかその失敗を無かったことにしようとするのです。
失敗が無かったことにするには
- 失敗を他人のせいにする
- 失敗を他人に気付かれないようにする
ようなことは誰もが思いつくことですが、このような行動は子供が家にある大切な壺を壊した時に、親に素直に謝ることが出来なくて壊れた部分を裏側にして置いたり、押し入れなどに隠したりするものですが、この場合にはプライドというよりは単純に親に叱られるのが嫌だと言う心理の表れです。
隠すという行為

動物は自分が食べきれなかった餌や後で食べるつもりの獲物を隠すという習性がありますが、これは他の動物に見つかると食べられてしまいますので、自分だけが知っている場所に隠しておいて、誰にも教えないという自らの命を守るための自然の行動です。
私達人間社会では隠すと言う行為は生きるための自然の行動というより、人に見られたら恥ずかしい、見られたくない、見せたくない場合の行為であり、特に自分の失敗に関しては他人に知られてしまうと笑われたり非難されたりで嫌な思いをすることが予測されますので、経験的に失敗を隠そうとするのです。
仏教的には失敗を隠すために嘘をつくという罪を作ることになります。
隠すことに対する罪悪感

自分が失敗した時にその失敗を隠そうすることは誰にでもあることで、自らの失敗を認めて素直に謝り、その失敗を二度と繰り返さないことで人として成長するのですが、隠すという事は失敗を認めないということであり、如何に隠し通すかということに労力を使うことになりますので、人としての成長が望めないばかりか、隠すという事に対する罪悪感に悩み・苦しむことになるのです。
失敗を隠すということだけでも罪作りであり、更に隠し通すために嘘をついたり、無実の他人に罪を押し付けることで余計な罪を作ってしまいます。
多くの失敗を隠し続けるような人は同じ罪を作り続けることになり、だんだんと罪に対する罪悪感も薄れていくことによって魂のレベルが落ちていき、失敗しても自分は絶対に悪くないと平気で嘘を言い、そして間違いを平気で他人のせいにするような人になってしまいます。
失敗した時には

自分の為した行動に於いて失敗したことに気付いた時には速やかに謝罪して失敗を正し、二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることです。
自らの過ちを認めてごめんなさいと謝ることは決して恥ずかしいことではありません。
自分の考えは間違っていないと言うプライドの高い人ほど自分の非を認めないものですが、プライドなんて何の役にも立ちませんし、執着することによって必死に自分の殻を守ろうとするだけの心の狭い人間になってしまうのです。






