嘘つきは泥棒の始まり

泥棒のイラスト

私達の子供の頃には嘘をついたらよく「嘘つきは泥棒の始まり」と言われたものでした。

平気で嘘をつくような人は盗みをしても悪いと思わなくなり、泥棒もするようになるという事です。

嘘をつくこと

嘘をつくことは仏教では「妄語」と言って戒律で禁じられています。

悟りを得られた者が住まう仏の世界では、正しい行いと真実の言葉だけが満ち溢れている世界です。

仏の世界では煩悩としての欲が無く、相手を騙したり貶めたりすることがありませんので、嘘をつく必要がないのです。

嘘をつくのは魂のレベルが低い世界、欲の塊の世界のことで、自分だけが良い思いをしようとしたり、相手を貶めるためであり、結果として相手を傷つけたり、争いになったりするのです。

五戒とは

五戒とは仏教を実践する人が守る戒律の中でも、釈迦の弟子として仏門に入った在家の人が性別を問わず守るべき五つの道徳のことです。

戒律を守る者に与えられる仏弟子としての名前が戒名で、法名とも言います。

五戒は五つの戒から成り立ち、最も重要度の高い順から並びます。

  • 不殺生戒(ふせっしょうかい)…生き物を故意に殺してはならない
  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)…他人のものを盗んではいけない
  • 不邪婬戒(ふじゃいんかい)…不道徳な性行為を行ってはならない
  • 不妄語戒(ふもうごかい)…嘘をついてはいけない
  • 不飲酒戒(ふおんじゅかい)…酒類を飲んではならない

五戒は罪として重い順に並んでいますが、最も重い罪の殺生に対して妄語は4番目で、最も軽い罪の飲酒の次に位置付けられています。

盗みと嘘つきの関係

五戒の中でも妄語は偸盗に比べたら軽い罪になっています。

軽い罪は日常的に起こしやすい罪であり、軽いが故に反省することなく何回も同じ罪を重ねてしまいがちです。

罪の意識なく嘘を重ねていくことによって知らないうちに重い罪を犯してしまいますよという警告が「嘘つきは泥棒の始まり」なのです。

一つ嘘をついたら、それを隠すために次の嘘をつくことを繰り返すもので、

  • 自分を良く見せたい
  • 自分の悪い所を隠したい
  • 相手を貶めたい

このような気持ちが心の底にあるのですが、全てが欲望のなせる業であり、仏教では煩悩と言って悟りを邪魔するものなのです。

私達に欲望がある限り欲望を満たすために罪を作り続け、たとえ軽い罪であっても毎日犯している内に重い罪を犯してしまったことにさえ気が付かずに居るかもしれないのです。

泥棒にしても最初は小さなものを盗んでいたけれど、誰も気が付くことなく済んでしまったが故に同じことを繰り返し、気が付いたら大きな過ちになっていたということが起こっているのです。

罪の意識

嘘つきも泥棒も罪に変わりはありません。

それが罪であることを常に意識することが必要で、私達は案外小さな罪を罪だと思うことなく、

  • 誰でもやっていること
  • 世渡りに必要な事
  • 今は仕方ない
  • 必要悪というもの

などのような理屈を作り出して誤魔化しているのです。

この世の中には善いことと悪いことしかありません。

「悪いことはしない、善い事をする」これが仏教の基本であり人としての基本でもあります。