追善供養とは
追善供養とは亡き人に功徳を届け、成仏を願うために縁故者などが集まって行う僧侶の読経や法要を伴う供養の行事です。
追善とは
追善とは故人のために「追って善いことをする」という意味があります。
あの世の世界に行った故人は、この世に戻ってきて何かをするようなことは決して出来ません。
故人があの世の世界で生前中の功徳が不足して困っていても、もうこの世に戻ってきて善行を行うことは出来ないのです。
そこでこの世に居る人達が故人のために供養をしてその善行を届けて差し上げることが追善なのです。
善行とは仏の法を説くことであり、聞くことでもあり、仏と僧に帰依することです。
追善はしてもしなくても良い!?
追善は故人のために功徳を届けて差し上げることですから、別に自分が困っている訳ではありませんので、自分の事を思えばしてもしなくても自分が得をする訳ではないと思われがちです。
仏法を聞き、僧と仏に帰依する善行を故人に振り向けているのですが、善行を誰かのために振り向けているということ自体が仏の慈悲の心に通じるのですから、結果として自分のためになっているのです。
しかし自分のためにという結果を当てにしてはいけません。
結果を当てにすることで折角の善行が台無しになってしまうのです。
本当の供養は全ての魂のため
追善供養は特定の故人のために行うものであり、充分に善行になりますが、仏の供養というものは全ての魂の救済であり、全ての魂が安楽の世界にたどり着くことが出来ますようにとの願いが込められているのです。
私達は御縁を元に繋がった人間関係を基本にお互いに助けたり助けられたりしているのですが、仏の心は全ての魂を救い上げることが目標ですから、私達もそれに倣って全ての魂が救われるようにと祈ることが大切です。
真言宗の勤行で一番最後に唱える部分を「廻向」と言い、次のように唱えます
廻向
願以此功徳 [がんにしくどく]
普及於一切 [ふぎゅうおいっさい]
我等与衆生 [がとうよしゅじょう]
皆共成仏道 [かいぐじょうぶつどう]
意味としては
「この勤行の功徳がこの世のありとあらゆる存在に広く行き渡り、私も含めたあらゆる衆生が皆仏道を成し遂げることが出来ますように」