埼玉県の弘法大師伝説

山野を修行する弘法大師空海のイラスト

弘法大師空海が生涯の活躍を通して六十二歳で高野山奥の院に入定されるまでの間に日本全国を巡っていた形跡が数多く残っていて、自らの行として、仏法興隆のため、造寺建立のため、民衆救済のためにと全国を廻っていたその業績は膨大な数の伝説となり今でも地方に伝わっています。

真偽の程が定かではない話もたくさんありますが、弘法大師空海が偉大なる存在として全国に知れ渡り、ある意味神的な存在として崇拝されていることでもあるのです。

埼玉県に残る弘法大師空海の伝説をご紹介致します。

動植物に関する伝説

*「しなび山のしなび竹」…埼玉県行田市の伝承。「動植物」

弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際に杖にするためにと村人に一本の竹を請うと「この山の竹はみんなしなびていて杖にはなりません」と答えたために竹が本当にしなびた竹になってしまった。

造寺、仏像に関する伝説

*「弘法山」…埼玉県越生町の伝承。「造寺、仏像」

ピラミッド型の山の中腹には弘法山観世音があり、弘法大師空海の開山との伝説もあります。