僧侶が見送る

誰かが亡くなった時に亡き人に対する思いは人それぞれで、有難うの感謝の気持ちがこみ上げてくる人も居れば、残念ながら憎しみの感情しか湧いてこない人も居るのです。

たとえば愛人を作って家出して帰って来ない、借金まみれで夜逃げした人が帰って来ない、などで行方不明届が出された人のことを「行方不明者」と言い、行方不明者の中には理由もなく居なくなった人や連れ去られたなどの様々な理由の人が多数含まれていますが、平成22年度の全国の行方不明者は80,655人にもなるそうです。

毎年8万人以上の人が私達の周りから突然居なくなっているのです。

行方不明者が行倒れや水中などで死体で発見されても、氏名や住所などが分からずに、全く引き取り手が居ない場合には「行旅死亡人」(こうりょしぼうにん)として扱われ、司法解剖された後に公費で火葬され、官報に掲載されて引き取り手を待っている遺骨が年間千体程度増えているそうです。

自分勝手な理由で家を飛び出し、何十年という年月が経ってすっかり忘れた頃に警察から電話があり、身内の者として遺体を確認して欲しいと呼ばれた場合、自分勝手なことで出て行った人にはもう会いたくないというのが正直な気持ちだと思います。

散々苦労してやっとここまでたどり着いて、もう過去のことなど忘れ、静かに暮らしていたのだから絶対に会いたくもないし、何があっても絶対に許さないと固く閉ざした心の扉というものは、簡単には開かないものです。

他に引き取る人が居ないから引き取りをお願いしますと言われても、もう亡くなったから水に流して下さいと簡単に言われても無理なものは無理なのです。

自業自得とは、自分勝手なことをしてきたのだから最後まで自分で責任を取りなさいということで、自分で為した行いは自分で責任をとるというのが仏教の基本ですから、私は知りません、そんな人は引き取りませんと言っても構わないのです。

しかしここで気を付けなければいけないことは、人の亡くなり方というものは連鎖反応を起こすということで、世の中というものは、誰かを恨みながら亡くなった人の子供はまた誰かを恨みながら、或いは恨まれながら亡くなっていくことを繰り返しているのです。

不幸の連鎖というものは、気が付かない内に血筋として継承されたり、恨みの感情として継承されたりしているのです。

自分の不幸の原因が戦国時代の先祖の殺戮による恨みから来ていると霊能者から言われたことがある人は意外と多く、当たらずとも遠からずなのですが、先祖の代に不幸な亡くなり方をしたようなことは霊能者に言われなくても何処にでもある話なのです。

問題は不幸の連鎖が起こった時に、それを止めることで、亡くなった人に対して恨みの感情を持ったり、冷たく突き放したりすることを止めることなのです。

刑事ドラマでの殺人後の現場検証シーン、どんな亡くなり方をした人に対しても刑事や警察が尊厳を持って合掌しているのは、不幸の連鎖というものを数多く見てきたから経験的にそうするのであって、死人の前ではどんな理由があったにしろ、尊厳を持って接することが暗黙のルールなのです。

恨みに対して恨みで対処すれば、その恨みはやがて自分や自分の子供にまで影響を及ぼしてしまいますので、恨みの気持ちを止めるはとても大切なことなのです。

この人は嫌な人だから絶対に許さないという気持ちを持ち続けると、その気持ちだけは何時までも残り続けるのです。

しかしこういった恨みの感情というものは自分一人ではどうにも出来ないものでございます、やすらか庵では不幸な方を数多くお見送りさせて頂いておりますので、どうしたら良いか分からない、これ以上不幸になりたくないと真剣にお思いでしたら、何時でもどうぞお気軽にご相談下さいませ。