一獲千金とは
一攫千金とは、たやすく一度に多くの利益をつかみ取ることで、一獲千金とも書きます。
お金は苦労して稼ぐもの
家族を持ちながら日々の生活をしていくのに誰もが苦しい思いをしながら仕事をしてお金を稼いでいるのが世の中の普通の姿だとしたら、何時も苦労ばかりしているのだから、たまには楽をさせてもらって良いのではないかということで、旅行に出かけたり、自分への御褒美を買ったりして疲れた体を休めているのです。
しかし世の中には楽をしてお金を稼いでいる人も存在するので、そういう立場の人は私達にとって羨ましい限りなのですが、たまにではありますが、宝くじが当たったり、親の遺産が入ったりなどで一度に大金を手にする人が居るのも事実です。
大金が手に入ったら
お金というものは無いよりはあった方が良いですし、あったにしても少しでもたくさんあった方が良いに決まっています。
しかも働かずして手に入るとしたら、それも大金が手に入るようなことがあれば、嬉しすぎて頭がおかしくなるかもしれません。
世の中には働くことが好きで好きでたまらない人も居ますが、むしろ働きたくないという人の方が意外と多いもので、働くと言ってもお金を稼ぐために働いているようなものですから、もしも大金が転がり込んでしまったら、小銭を稼ぐためにちまちまと働いていること自体がバカバカしいと思えるかもしれません。
宝くじ
一獲千金を狙って買い続ける宝くじは、ほとんどの人が当たらないようになっているのですが、しかし少数ながらも高額当選する人が居るのは事実ですから、確率の問題はさておいて、当選した人になれば良いだけの話ですから、買った以上は億万長者の夢を見ることが出来るのです。
宝くじの高額当選金が当たって家族のための家を買ったり旅行に使うことが出来る人はお金の使い方を知っている人です。
宝くじの高額当選はまさに絵に描いたような一獲千金物語なのですが、大金の使い方を知らない一般人が急に大金を手に入れたら、しばらくの間は夢のような生活を体験できますが、すぐに堕落した人生を送ることになり、奈落の底まで落ちていくことが多いのです。
お金という物は使い方次第で幸せにもなりますし、不幸にもなるのです。
神仏と人のために使え
一獲千金は夢を持つという意味では空想を楽しむことが出来ますので、内容的には欲望という事になりますが観想の修行にも繋がることです。
お金は自分一人だけのために使ったり、貯めるばかりしていては幸せになることが出来ません。
毘沙門天は、世の中にあるお金は神仏と人のために使えと説いています。
毘沙門天は命とお金と時間を回す神であり、常に回し続けているのですから、回すことによってまた自分の所に戻って来るという事に気が付いた人はお金の使い方がよく分かるようになり、商売をしても繁盛するのです。
お金を回すという事は他のために使うということなのです。
一攫千金で得たお金を神仏や人のためにバーッと使うことが出来る人は神様に好かれるので、最終的には神様が回してくれるのです。