蘇民将来とは
蘇民将来とは遊行神に宿を提供した善行によって神から教えられた茅の輪や護符を祀ることにより子孫の繁栄を約束されたという説話のこと。
備後国風土記
蘇民将来は鎌倉時代末期の「続日本紀」に「備後国風土記」から引用された逸話が最古のものとされています。
北海の国から南海の国に嫁取りの旅をしていた武塔神(むとうしん)が蘇民兄弟の家に立ち寄り宿を請うたところ、裕福な弟の巨旦将来は断り、貧乏な兄の蘇民将来は粗末ではあるがもてなしたそうです。
後にその地を再び訪れた武塔神は貧乏な兄の蘇民将来に茅の輪(ちのわ)を授け、裕福な弟の一族を滅ぼして自らを速須佐雄能神(すさのおのみこと)と名乗り、茅の輪を付けていれば疫病から逃れ、子孫長久すると言い残したことから、蘇民将来の子孫であるという木札や護符を作って家の玄関に祀るという風習が生まれたのです。
武塔神
武塔神は牛頭天王(ごずてんのう)或いはスサノオと同一とされ、世の中に疫病をもたらす悪神さとれ、荒ぶる神の性格を持つことから宿の願いを断った巨旦将来の一族を滅ぼしますが、神話の時代の話であり、豪族同士の勢力争いの中にあって力のある者が反対勢力を征服したり滅ぼしたりで国を造っていく背景が感じられます。
単純に武将の姿で塔を持っているのは毘沙門天であり、毘沙門天も元は荒ぶる神であったが仏法に帰依してからは善神として仏法守護の役割を果たしています。
陰陽道の経典である「刃辛内伝(ほきないでん)」では天刑星(てんぎょうせい)の神の転生とされ、吉祥天の王舎城の大王で商貴帝とされますが、吉祥天の夫が毘沙門天なのです。
蘇民将来の護符
蘇民将来の護符には家を表す「門」という文字の中に「蘇民将来子孫家」と書かれて更には「七難即滅、七福即生」などと書かれ、蘇民将来の子孫の家なので、災難が無くなり幸せが訪れるようにとの願いが込められて正月の注連縄と共に家の玄関に祀られます。
縁起物としての蘇民将来の護符ですが、その由来について聞かされますと怖いと思う方も居られることでしょう。
繁栄している家の裏には滅ぼされた家もあるのですから。
しかし私達の祖先の歴史の中では今の時代のように安心して暮らすことが出来る時代など無く、飢饉や災害、疫病などが次々と襲ってきて、強盗や殺人などの被害に遭っても駆け込む警察も無いので、やられたらやり返すという敵討ちが当たり前、防犯ビデオもスマホも携帯も無い時代に自分達を護ってくれるのは強い神であり、護符だったのです。