散骨供養と宗旨、宗派
散骨は特定の宗教とは関係の無いものですから宗旨宗派に拘る必要はありません、無宗教で行う方もたくさん居られますし、特定の宗旨宗派の作法に則って行うことも出来ます。
こだわる人も居る
もちろん散骨をされておられる方の中には特定の宗旨宗派にこだわる方も居られますし、宗教者の中には散骨を認めないという方もおられます。
旧来の方法で亡き人を送らないと成仏しない、などの考え方があるからです。
宗教の考えは他の人に押し付けるべきものではありませんし、どの宗教を選択するかは誰にとっても自由なことですが、散骨を依頼する立場の方にとっては大切な問題ですから、事前によく調べておく必要があります。
やすらか庵では特定の宗旨宗派にこだわりませんので、どなたでもご利用になれます。
後継者の居ない立場になれば分かる
後継者の居ない人にとって、お墓はやがて必ず維持できなくなるものであり、今あるお墓の後継者が居ないことで処分する必要が生じ、苦痛の種になってしまいます。
今は自分がお墓参りしたり管理したりすることが出来ますが、やがて高齢になったり病気になったりしたら、だれもお参りしてくれる人が居なくなるからなのです。
お参りする人の居なくなったお墓はやがて草が生え木が生えてきて、周りの方に迷惑を掛けるようになってしまいますし、ゴミが溜まったままになっているかもしれません。
何よりもそのような状態で最も悲しまれるのはお墓の中のご先祖様なのです。
ご先祖様を放ったらかしにしておいて、周囲の方々に迷惑をかけておいて、自分があの世に安心して行けるでしょうか。
後継者の居ない方にとってのお墓はまさに苦痛の種なのです。
お墓のシステムの崩壊
散骨をしている業者の中にも特に最近、遺骨を捨ててくるような業者が目立ちますので、そういう業者は無縁仏を増やし続けているという意味で大変に良くないことだと常々皆さんに訴えかけております。
今の時代のように火葬が主流の葬送の方法になってしまった以上、土葬の頃のように土の中に遺体を埋めて自然に還すようなことは不可能になり、骨壺に入れた上にコンクリートの部屋の中に置き続けることを「埋葬」だなんて言うものですから、永遠に自然に還らなくなってしまっているのです。
こういったお墓のシステム自体があまりにも不自然であり、永遠に残り続けるお遺骨の継承者は必ず居なくなる訳で、散骨という自然に還る方法の方が皆に受け入れられるのは、当たり前のことなのです。
散骨は特別な宗教ではありませんので、宗旨、宗派などは関係ありません。私も特に意識して行っている訳ではございません。
亡き人の供養のため
今の時代は後継者の居ない方が続出していて、お墓や葬儀のシステムが崩壊している時でもあり、こういう時だからこそ、宗旨宗派の枠を越えた亡き人の供養のためという基本を大切にした考えが必要な時です。
時代が移り変わって色んな事が変わっていきますが、中には変わらないものもあり、それは亡き人に対する供養も同じで、何時の時代でも変わらずにあり続ける私達にとって大切な心なのです。
遺骨は霊ではありません、大自然からの「借り物」ですから、必ずお返ししなければいけません、しかも綺麗にしてお返しすることです。
借り物というものは、借りた時以上に綺麗にしてお返しするのが礼儀です。
肉体は借り物ですから、お返しすれば良い、魂を供養すれば良いのです。
前 散骨を行う時期は