経帷子

経帷子とは

死者に着せるための着物のことで、仏教徒としての死後の旅立ちの姿を表します。経帷子の歴史や作り方、種類、着方と今後の経帷子についての解説です。

経帷子の意味

帷子とは江戸時代に装束を着ける時、汗取りとして着たもので、下着としての機能を果たし、白を基調として麻に限らず、生絹や麻布で仕立てた、夏に着る単衣(ひとえ)仕立ての着物のことです。

帷子に経文が書いてあるのが経帷子であり、仏教の修行としての巡礼をするための衣装になります。

経帷子は「寿衣」「死装束」「仏衣」「浄衣」「経帷」「経衣」「無常衣」「曳覆曼荼羅」とも言われます。

経帷子の歴史

鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて真言宗で行われてきたと言われていますが、真言宗では今でも亡き人の葬送に於いて死者には死に装束を用い、魔除けの刀や箒などを用いる事や、死者の枕元で枕経を唱えることが守り続けられています。

1822年に米沢藩の藩主であった上杉治広が亡くなった時に烏帽子に直垂という、やや身分の低い貴人の正装姿で埋葬された棺の中には経帷子が納められていたそうです。

このようなことから経帷子は歴史的には比較的新しいと思われます。

経帷子の作り方

経帷子は今では既製品を葬儀社が持って来ますが、本来は人が亡くなった時に故人とゆかりのある親族・縁者の女性や孫などが集まってから作るものだそうです。

その作り方も決まりがあって、縁起を担いでハサミ、ものさしを用いず(ひっぱり縫い)、布は手で裂き、糸玉を作らず、不幸が繰り返しくることを恐れて、返し縫いはしないなどの決まりがあり、しかもなるべく多くの人が関わって作ることが良いとされます。

経帷子の種類

白色で無地

経帷子、白色で無地

一般の方の葬儀で葬儀社が準備した経帷子を使う場合には白色で無地が使われます。白色は穢れの無い色であり、魔除けにもなります。愛用の服などを着せた場合には経帷子は上に置くだけのような使い方もします。

巡礼の朱印付(真言宗)

経帷子、四国巡礼朱印付

四国八十八か所霊場の巡礼や西国三十三観音霊場を生前中に巡礼した人が一ヵ寺まわる度に経帷子に頂いた朱印を自らの死後の旅立ちの衣装として準備することがあります。四国八十八か所霊場の場合には「南無大師遍照金剛」の文字が書いてあることが多いです。

浄土宗

浄土宗の経帷子

五重相伝・授戒会の折、経帷子を着物の上に着て、受者の清浄を保つ意味で「浄衣」と言い、南無阿弥陀仏の名号と「無量寿経」の「応法妙服おうぼうみょうぶく 自然在身じねんざいしん」の文字を入れ、亡き人の棺に入れる。

日蓮宗

日蓮宗の経帷子

日蓮宗では檀家や信者が日常の行衣として授けられることがあり、生前中にこの行衣で朝夕の勤行や寺の行事、寒修行、霊跡参拝のときなど着帯し、菩薩行や回向の功徳を積むことが勧められています。死後ははこの行衣を経帷子として使うことがあります。

浄土真宗

浄土真宗は門徒が死後に極楽浄土に召されるという考え方から、死後の旅立ちという観念が無く、経帷子は使いません。

「葬儀規範」によりますと、納棺時は「清拭した後、白服を着せ、手に念珠をかけ、胸前に合掌して納棺し…」とあり、「葬儀規範解説」には「俗服着用の場合、白服を掛ける」とありますので白衣などの着用は良いとされます。

経帷子の着方

経帷子は左前

経帷子は普通の着物の着方とは違って「左前」に着て、帯の結び方は「縦結び」にします。

死後の世界は私達の世界と逆になっているという考えがあって、私達の世界が昼の時には死後の世界は夜というように、あらゆることが逆になっているということなのです。

経帷子の今後

近年は葬儀の少人数化と簡略化の傾向が著しく、いろんな物が形式化されたり省略されたりしていますが、果たして経帷子はどうなるのでしょうか。

最近の葬儀の傾向としては亡き人にお気に入りの服を着せてあげることが増えて参りましたが、遺族の方の気持ちとしては、せめて最後にだけでも着せてあげたかった服や、お気に入りの服を着せて差し上げることで亡き人の最後の姿を目に焼き付けておきたい物で御座います。

経帷子は亡き人が死後の世界に旅立って行くに際し、魔除けとして、または生前中の功徳を身に付けていく大切な衣装ですので、お気に入りの服を着せて差し上げるような場合には、経帷子は着せなくても良いですから、棺の中に入れてあげて下さい。