青森県の弘法大師伝説

山野を修行する弘法大師空海のイラスト

弘法大師空海が生涯の活躍を通して六十二歳で高野山奥の院に入定されるまでの間に日本全国を巡っていた形跡が数多く残っていて、自らの行として、仏法興隆のため、造寺建立のため、民衆救済のためにと全国を廻っていたその業績は膨大な数の伝説となり今でも地方に伝わっています。

真偽の程が定かではない話もたくさんありますが、弘法大師空海が偉大なる存在として全国に知れ渡り、ある意味神的な存在として崇拝されていることでもあるのです。

青森県に残る弘法大師空海の伝説をご紹介致します。

動植物に関する伝説

*「桃石」…青森県おいらせ町の伝承。「動植物」

弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際にたくさんに桃が実っていたことから所望したが、持ち主から「大変に申し訳ないがこの桃は硬くて食べられません」と断ったそうですが、数日後に近所の子供が桃を盗んで食べようとしたら、本当に硬くて食べられない桃になっていたそうです。

*「駒込川」…青森県青森市の伝承。「動植物」

弘法大師空海が巡錫で駒込川を訪れた際に、たくさんの川魚が獲れていたために1匹所望しましたが、見ぬふりをしていたそうで、弘法大師が法術を施すと魚が居なくなってしまったそうです。

御礼品に関する伝説

*「弘法の手拭」…青森県の伝承。「御礼品」

弘法大師空海はある時布教の旅の途中で立ち寄った一軒の民家で托鉢を請うた際に、中から出て来た醜女の女中は3個の餅を快く差し出してもてなしたが、意地の悪い女主人はそのことを知って強く叱ってすぐに取り返してこいと命じ、追いつくが既に食べた後だったので、その代りにと法衣の袖の布が手渡されて持ち帰るが餅を取り返すことが出来なかったので再び女主人から叱られて、女中がその涙を法衣の袖の布で拭くと色白の美しい顔立ちになりました。それを見た女主人が同じ法衣の袖の布で顔を拭いたら醜い顔になってしまいました。