鏡開きとは
1月11日は鏡開きの日です、鏡開きとはお正月の来訪神である歳神様が宿った鏡餅を床の間や祭壇から降ろして食べて、一年間の無病息災を願う行事です。
鏡開きの日は
歳神様は正月に来て松の内の期間にそれぞれの家に滞在し、松の内が済んでから行うものです。
関東では1月11日、関西では15日か20日に行います。
京都では三が日が明けたら鏡開きを行う地方があります。
関東と関西で鏡開きの日が違うのは、徳川三代将軍である徳川家光が慶安4年(1651)4月20日に亡くなり、月命日が20日になったので、翌年の1月の月命日に目出度い鏡開きをするのは良くないと、鏡開きを1月11日に、松の内を1月7日に還ると言う通達を出したのが始まりだそうです。
関西ではその通達があまり行き渡らなった為に従来の日程で行われているのです。
鏡とは
鏡は顔や体を映し出す物ですが、米から作られた餅なのに鏡と言うのは何故でしょうか。
鏡と言っても古代の鏡は銅で出来ていて、神様が宿るものでしたから御神体として崇められてきたのが本来の鏡であり、素材が銅で出来ていてもちろんちゃんと映りますが今の時代の鏡のように姿がきれいに映るようなものではありませんでした。
現代の鏡のように顔やからだをそのままの姿で綺麗に映し出すような鏡は近年になってから出来たものです。
餅は命を繋ぐための大切な作物である米を搗いて丸めたもので、作るのに力を中に入れ込んで、丸い形になることで、神が宿る鏡としての機能を持つようになります。
鏡は三種の神器の一つでありますが、大変に高価なものなので、庶民が持てるようなものではありませんから、餅が正月の歳神様の依り代になるのです。
鏡開きの仕方
鏡餅は年末に臼と杵で突いて作るのが正式な方法で、二段重ねの餅に昆布、海老、橙、裏白などで飾り付け、奉書紙を敷いた三宝の上に乗せて床の間にお祀りするものです。
床の間は神様が降りて来る神聖な場所です。
このように正式な作り方の鏡餅は、搗きたての時にはとても柔らかいですが、すぐに硬くなり、日が経つにつれてひび割れてくるようになり、場合によってはカビが生えることもあります。
鏡開きの時の餅は「切る」ことをしません、「切る」ことは縁を切ることに繋がり、縁起が悪いと言われます。
木槌か金づちで叩いて割るのが正式な方法です。
少々形が悪くなっても気にしてはいけません。
割った餅は汁粉、雑煮、かき餅などにして食べます。
神様が宿った依り代のお下がりを食べることで、神様の力が頂けるのです。
最近ではスーパーやホームセンターなどでパックに入った鏡餅が売られていて、中には真空パックの餅が入っていますので、カビが生えるようなことはありませんし、木槌で割る必要もありませんので便利ですが、餅以外はプラスチックの模造品ですからゴミになってしまいますし、神様が宿る物になり得るかどうかは分かりません。
樽酒の鏡開き
選挙の当選祝い、結婚式などで樽酒の蓋を木槌で割って、お酒をふるまうことも鏡開きと言われ、この場合の鏡とは樽酒のことになり、蓋を割ってお酒を取り出すことを鏡を開くと言います。
鏡餅と樽酒の共通点はどちらもお米で作ったものであることです。
私達日本人の祖先は大自然の中のあらゆるものに神が宿るという自然崇拝、アニミズムの信仰を持ち続けてきましたが、命を左右する大切な作物である米の一粒一粒に神が宿り、その米を搗いて出来る餅や、醸造して出来る酒には更に特別な神の力が宿ると信じられて大切にされ、神への供物として使われてきました。
お酒は目出度い時に振る舞われるものですから、樽酒の蓋を開けることは天岩戸の戸を開けるが如く神聖で大切な儀式として定着しているのです。
またお酒は飲めば日常の世界とは違う世界を体験し、酔うほどに天に上るような気持ちになれることから神と一体になれる飲み物でもあるのです。
目出度い席に呼ばれれば、福のおすそ分けが頂けます。
そしてこの時に振る舞われた酒を飲めば命が強くなりますので、そういう気持ちで頂けばとても有難いことなのです。
鏡開きで開運
鏡開きは神様が宿った食べ物を食べることですから、神様の力が頂けるのです。
これをうまく使えば開運につながります。
鏡開きは威勢よく
樽酒の鏡開きは結婚式や開店のお祝いなどで参加者に振る舞われますが、とても御目出度い儀式なので威勢の良い掛け声と共に鏡が開かれます。
大きな声で威勢よくというのは七福神が家々を回る時に福を振りまく時と同じで、必ず開運につながります。そしてお目出度い席ですから、笑い声がたくさん響いている方が良いのです。
お正月の御餅の鏡開きの時も威勢よく行えば必ず開運につながります。