火の車とは

火の車

「火の車」とは家計の状態が苦しいことを言いますが、悪人が乗せられて地獄に連れていかれるという仏教用語でもあります。

我が家の家計は火の車

火の車の使われ方としてよく使われるのは「我が家の家系は火の車」という使い方で、お金が不足していたり、借金の返済に追われているような状態のことを指します。

家系が苦しいことを火の車と言うのは、お金や家計は「入る」と「出る」が順調に回るものであり、「お金を回す」或いは「家計を回す」と言いますが、順調に回っていれば「入る」と「出る」のリズムがぐるぐると快適に回るのです。

ところが「入る」が少なくなったり「出る」ばかりが増えるようなことが続けば、今まで順調に回っていた車は止まってしまいますので、それを無理にでも回そうとすれば火が着いて燃え出し、すぐに消さないと破滅の道に向かってしまうのです。

仏教用語として

火の車は「火車」から来ている仏教用語です。

火車(かしゃ)について

「百怪図巻」(ひゃっかいずかん)は江戸時代中期の佐脇嵩之(さわき すうし)によって描かれた妖怪絵巻物で、全30点の妖怪画が収録されている中の一コマ「火車」の場面は有名です。

生きている間に散々悪事を働いた人が亡くなると、地獄の獄卒が燃えたぎる炎に包まれた車を引いて迎えに来るのですが、その車のことを「火車」と言い、場合によっては生きている時に迎えに来ることもあるそうです。

生前中の行いが良くないと生きていても地獄に連れて行かれるという火の車は民衆に恐れられて、悪事を働けば必ず天の罰を受けるという仏教の勧善懲悪の思想が色濃く反映されています。

あまりにもひどい悪さをすれば、たとえ生きていても火の車に載せられて、情状酌量の余地はなし、即地獄行きです。

「我が家の家計は火の車」は仏教的に言えば、火の車に載せられますと熱くて苦しくて仕方ない、その有り様を火の車と言うのです。

法華経によれば

釈迦によれば、私達が暮らしている人間界は苦しみに満ちた世界であり、住んでいる家にしても「火宅」(かたく)と言って、火に包まれた状態であると説かれます。

三車火宅の喩(たと)え

ある時のことですが、猛火に包まれた家の中で、火事に気付かずに楽しそうに遊んでいる子供たちを長者が発見しました。

長者はその子供たちを救いたいと思いましたが、家が火事だと言ってしまうと、子供たちはパニックになってしまうかもしれないと考えたのです。

そこで長者は、家の外におまえたちが欲しがっていた「羊車(おうしゃ)、鹿車(ろくしゃ)、牛車(ぎっしゃ)」の三車があるから早く出ておいでと言うと、子供たちは、新しいおもちゃ欲しさに一目散に「火の家」から飛び出してきたのです。

しかし、門の外には一台も車がありませんので、子供たちは長者に「嘘つき」といいましたが、そこで長者は家を見なさいと指さすと、猛火に燃える家があり、子供たちは自分たちが救われたことに気付いたのです。

子供たちの安心した姿をみた長者は、その後大きな白い牛車を子供たちに与えたとのことです。