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無縁仏とは
無縁仏とは後継者が絶えてしまったり、縁故者が居なくなったりしてお参りすることの出来なくなったお墓或いは故人の魂のことで、引き取り手の無い身元不明の死者のことを言うこともあります。
無縁仏になりますとこの世にも戻れない、あの世にも行けない状態、或いは喉が渇いたのに水が飲めないような状態が永遠に続くのです。
無縁仏の種類
無縁仏には供養された無縁仏と放置された無縁仏があります。
供養された無縁仏
合葬墓と言われるお墓や無縁として寄せ集められ合祀されたお墓のことで、時々ではありますが誰かが手を合わせてくれたりお線香やお花をあげてくれたりしますので、誰も見向きもしない放置された状態ではありません。
都立霊園の合葬墓に入ったような方でしたら、霊園が続く限り、ある程度の長期間お参りの人も来てくれますし、お花やお線香も上げてくれますので、実はとても人気があるのです。
寺院の合葬墓でも寺院が続く限り寺院の供養が受けられますし、寂しい思いをしなくてもよい選択肢で、無縁仏と言っても名誉ある無縁仏の部類に属します。
供養された無縁仏の中でも自ら志願して合葬墓に入った人や或いは家族、親族なとが丁寧に供養してくれて合葬墓に入った人は無縁仏ではありません。
放置された無縁仏
個別のお墓があったのに後継者が絶えてしまって誰もお参りする人が居なくなった場合や、引取りての無い遺骨などが該当します。
無縁仏が増えている
我が国では人口の減少や少子高齢化の進行が顕著になり、社会全体の高齢化が進んでいることから、かつては若い夫婦と子供で賑わっていた大型団地でも、今では高齢者夫婦だけの世帯や高齢者のお一人様世帯が増加して、孤独死が社会問題になっています。
子供が居ても遠方に住んでいたり女の子ばかりだったりで、後継者の居ない方は今あるお墓もやがて無縁になり、自分達も墓に入れば無縁になるので、墓じまいして散骨供養や樹木葬などを選択するしか方法が無いのです。
無縁仏になったらどうなるの?
その1.お墓が無縁になったら
公営墓地や民間墓地ではお墓を買う時には「永代使用料」と「年間管理費」を払います。
「永代使用料」とはお墓を永代に亘って使う事の出来る権利のことですが、但し「年間管理費」を払い続けていることが条件です。
つまりお墓の土地は借り物であり、毎年借地料を払っている訳で、「永代使用料」を払ったからと言って自分の土地になったのではなくて、借地を保証するだけの権利なのです。
ですから年間管理費を払わなかったり滞納しますと場合によってはお墓を撤去されるかもしれないのです。
都立の多磨霊園は創設から90年あまりの年月が経過していて、当初に墓地を購入した人の子孫は3代目ぐらいになりますが、それでも多くの墓地が無縁になっていて、その数は全体の1割程度が該当するとも言われていて、縁故者に対する警告の立て看板が立てられたお墓が多数あります。
都立霊園の場合には「年間管理費」が払われなくなったお墓があれば、縁故者に連絡をしますが、縁故者が居なければ撤去の旨を表記した立て看板を1年間掲示して、誰も名乗り出なければ公費で撤去され、遺骨は合葬墓に収容されます。
都立霊園の合葬墓の中に出入りする職員に聞いた話ですが、合葬墓には強制撤去されたり見捨てられた無縁の方の霊がたくさん出るからあまり入りたくないと言っていました。
せっかく立派なお墓があったのに、誰もお参りに来なくなってしまって、草が生え、木が生えて周りの方に多大なる迷惑を掛けた上に立て看板を掛けられて晒し者になり、挙句の果てはお墓を壊されて遺骨は無縁扱いにされてという過程が全てマズいのであって、最初から立派なお墓など作らずに丁寧に供養されて皆と同じ合祀されれば決して無縁にはなりません。
その2.引き取り手の無い遺骨
我が国では海岸に打ち上げられたり山中から遺骨で見つかったりなどで発見された遺体や遺骨の中には身元不明の「行旅死亡人」と言われる人がいて、官報に掲載されていますが、毎年千人程度の行旅死亡人が公費で火葬、保管されています。
他には愛人を作って突然家出した人や借金まみれで行方不明になって、死後に発見されて縁故者に連絡しても引き取らないということもあります。
死ぬ最後の瞬間に看取ってくれる人が居ないということはとても寂しいことでありますが、それ以上に放置されたり見捨てられたりの仕打ちを受ければ、たとえ自業自得の結果としてそうなったとしても、喉が渇いた時にただ一杯の水が飲めなかったような渇きが永遠に続くことはむごいことで御座います。
アパートに置き去りにされた遺骨や倉庫や押し入れの中に放置された遺骨を引き取りに行くことも多々ありますが、「助けて下さい」の声が聞こえてくるようで、お引き取りしてから毎日お線香を上げて読経して差し上げますと、楽になるのが分かります。
無縁仏にならないためには
無縁仏になりますとこの世にも戻れない、あの世にも行けない状態になってしまったり、或いは喉が渇いたのに水が飲めないような状態(心の渇き)が永遠に続くのです。
無縁仏にならない方の代表はお釈迦様、弘法大師空海などで、自ら仏になってしまうことです。
お墓の場合
お墓の後継者が居なくなってしまった場合にはまだ元気な内に墓じまいしてご先祖様の遺骨は樹木葬などの永代供養にするか散骨供養して丁寧に供養した上で合祀或いは自然に還って頂きます。
お墓の後継者が居ないのなら、確実に無縁になって墓地や周りの方に迷惑を掛けてしまい、ご先祖様が悲しまれます。
ご先祖様には後継者が不在の旨を丁寧にお詫びして供養した上でお墓も片付けさせて頂きます。
先祖が勝手に造った墓なのだから自分は知らないという理屈もアリですが、死後の世界が無ければそれでも構わないと思います。
墓じまいするのに適切な年齢は70歳です、80歳までの人生だとしたら残りが10年しか無いからです、人によってはもっと早くしないといけません。
費用も結構掛かってしまいますが、ご先祖様のためであり、人様に迷惑を掛けないためでもあるのです。
自分達の将来
後継者の居ない人は自分達の死後のことも考えていなければいけません。
終活ということも必要でしょうし、お片付けもしなければいけません。
なるべく人様に迷惑をかけないことです、そして可能であれば自分達の死後の段取りも決めておくべきです。
エンディングノートを作っておきましょう、信頼できる人に頼んでおきましょう。
お墓には入れないのですから、後継者が居ない人の為の散骨供養、樹木葬、合葬墓がおすすめです。
やすらか庵ではお葬式や法事ももちろん致しますが、死後の段取りの全てを安心して頼むことが出来ます。
一般の業者の中でも特に激安価格を謳った悪徳散骨業者やテレビに出たと自慢している葬祭業者は要注意です、お金儲けのことしか考えていません、お金を貰って遺骨を捨てるようなことを平気でしています。
せっかくお金を払って頼んでも無縁にされては台無しです。
亡き人は供養の心で送り出せば安心して旅立ち、迷うようなことはないのです。