いつものお盆

お墓というものは普段は人の気配が無くて寂しい所ですが、お盆に明りが灯れば人とご先祖の気配が感じられるようになります。

LEDの灯りに慣れてしまった私達は黄色くてぼんやりした灯りを見ることが少なくなりましたが、それでも灯明というものは本来、油を燃やすことによって得られる光のことで、死後の世界の行く先を照らす道標であり、仏を供養するための供物にもなるのです。

庶民が現在のようなお墓を持つようになってからの歴史は短いですが、お墓に行って明りを灯したり線香を上げたり、供物を供えたりしてもらえるご先祖は幸せ者です。

そして一番の供物は小さい子供達の笑い声なのです。

今お参りしている人もいつかは墓に入る時が来て、子や孫に供養してもらえたら、無上の喜びに包まれることでしょう。

お盆が来たら明りを灯すだけのことですが、その空間には、いろんな人たちの声が聞こえてきます。

この灯りを子に孫に伝えていくことで、たとえ一人の人が息絶えても、火が消える事は無いのです。

今年は新型コロナで大変な年になりましたが、お盆がいつも通りにやってきました。

私にはお盆になっても今の場所には参るべきお墓はありませんが、手を合わせに行きますといろんなことを教えて頂ける有難い場所です。