亡くなった方の枕元に枕飾りを置いて、死者の傍で僧侶が行う読経を「枕経」と言いますが、チベット密教が今でも実践されているチベットでは、師僧が四十九日の間毎日来て「死者の書」という経典を読誦します。
死者の書の解説は難解ですが知っておいて損はしません…チベット死者の書
死者は亡くなってしばらくの間は自分がどうなったのかが分からない状態が続き、私達が持つ五感である視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を徐々に失くしていくのですが、聴覚だけは残っているので耳元で死者に悟りを得るための方法を説き聞かせるのが本来の枕経なのです。
悟りを得るということは私達の意識が肉体から離れて輪廻の世界から離脱することですから、そういう意味で人の死は悟りを得るための最大のチャンスなのです。
修行をするにしても死を最終目標に置いて修行すれば、それまでに悟れなかった人でも最後のチャンスが訪れるのです。
しかし全く仏法を実践しなかった人や学ばなかった人はもちろんのこと、修行を続けた人でも実際に悟りは程遠い世界なのです。
我が国での僧侶は、亡くなったばかりの死者はもちろんのこと、悲しみに暮れる家族に対しても法を説くのが務めなのですが、亡くなってすぐに駆け付けることなんて面倒だからでしょうか、枕経があまり行われなくなっています。
もちろん枕経をしない宗派もありますので一概には言えませんが、枕経という形ではなくても死者の枕元で線香を上げる、灯明を灯す、末期の水を含ませる、そして読経することは必要だと思います。
枕経をあげることが出来なかったら傍で光明真言を唱え続けても良いです。
光明真言は亡くなった方の救済に特に力を発揮する真言です。
師父から教わった35日、もしくは49日に行われる吉備地方の釘抜の行事について思い出しました。これは土葬の時代、棺桶の釘を抜いて魂を解き放つ行事に由来するものです。そのあらましを述べてみます。
二升の餅米を搗いて、一升分から49個の小餅をとり、一升の餅を三つに分けて3段重ねの鏡餅を作ります。上から、頭の皿、腹の皿、足(すね)の皿と呼びますが、頭の皿を取って切り分け、傘、両手、両足、胴、弁当、と八つの部分を先の49個の子餅のうちから2個を足して、人型と弁当を作ります。
これを法要の後に、すべての参加者でちぎって食べ、あたかも白装束の故人と会食して、お遍路さんに送り出すように手向けるのです。
弁当となった餅は切った餅の部分と、49個の子餅のうちの一つなのですが、元来は切った餅は母屋の屋根の上を越えるように放り、丸餅は裏戸を出たところの縁石の上に供えていたのですが、そのうちに2個まとめて縁石の上に供えるようになりました。
白装束のお遍路さんはどこへ向かうかと言いますと、それは蓬莱山です。それはごく近所にある、小高い山のことを指すのですが、そこに故人はご修行に出かけていかれます。このご修行は短い人で50年、長い人では100年もかかるそうです。
修行中の故人とは別に、修行を終えた故人という方々もおられます。この方々はいつも家屋敷を守護しておられます。オヤジ・オフクロと呼ばれる神様で、鬼の格好をしておられますが、オヤジさんは屋根の上、オフクロさんはお床におられて、屋敷を外側内側から守護しておられます。この方々は始終、家におられて、出かけたり、帰ってきたりすることはありません。
これもまた、短いご先祖さんで50年、長い人で100年勤められるといいます。お勤めが済んだら、また子孫に生まれ変わってくると言いますが、修行中のご先祖さんは、年に一度は里帰りが許されます。迎え火と送り火の間の期間です。
オニは外、フクは内、と呼ばれるのはご先祖様、新仏の行事が今年もやってまいりました。
有難いお言葉、身に沁みます。必ず今後の指針に活かせますよう精進させて頂きます。