樹木葬を作ろう

近年では後継者が居ないなどの理由で「後継者不要の樹木葬」が人気で、商社や石材店が設計施工するので立派ではありますが、どうしても普通のお墓に見えてしまうと思いませんか?そこで私達が製作する手作り感満載の樹木葬の紹介です。
作ることも修行也

朝からの勤行、祈願、供養、法事、葬儀、お焚き上げ供養などの僧侶としてのお勤めの他に海の散骨、森の散骨、樹木葬、合葬墓、墓じまいなどの救済事業をこなし、その合間を縫っての掃除や枝の選定、草刈り、屋根の修理などの作務があって全て修行として取り組んでいます。
樹木葬の場合には新しい区画を作るには20cm四方で72個分のマスが必要になりますので、線を引く、穴を開けるなどの作業と共に型枠も同時に製作します。
私はモノ作りが好きですから樹木葬の型なども自分で作り、困っている人に安心を提供することも僧としての務めだと信じています。
昭和の時代までは身の回りの大抵のものが「Made in japan」「日本製」と表記されていて、丈夫で長持ち、優秀な品物でしたが、今の時代は東南アジアの国名ばかり表示されていて安いのは良いことなのですが、すぐに壊れたりして長持ちしないモノがあふれていて、壊れたらすぐ捨てる、また買うという消費文明に慣らされてしまい、気が付けばゴミ屋敷になっているのです。
型枠作も完成

作っている時にはあまりにも大変なので製作中の写真を撮っているような時間がありませんでしたが、樹木葬の型枠2つ分です。
格子戸のような感じです。
この型枠に先ほどの丸い穴を72個開けたプレートをはめ込みます。
モノ作りが修行の理由

自分でモノを作るようになりますと物を作る大変さが分かりますので、出来た物は大切に使うようになりますし、壊れても修理して使ったり工夫して別に用途に使ったり出来るようになります。
そして自分でモノを作るには五感をフルに使いますので、集中、創造などは第六感を養うためにも有効です。
仏には私達が持つ眼の他に眉間部に心の眼である第三の眼が存在し、真実の世界を観る眼だと言われています。
今の時代はお金さえあれば生活用具が何でも揃い、壊れたらまた買い直せば良いのですが、そういった豊かな時代は長い歴史からすると戦後のわずかな期間のことであり、以前は例えば台所の鍋や釜などは穴が空いたり割れたりしても修理してくれる鋳掛屋(いかけや)という職人に直してもらって大切に使っていたのです。
昔の人はモノを100年使えば魂が宿ると信じ、使われなくなって捨てられたモノたちは付喪神(つくもがみ)になって人間を驚かしていたそうです。
モノに魂が籠ることは位牌や仏像を造った時に開眼供養と言って魂を入れることで神仏や先祖神として機能するようになりますので、自然にある物から人が作ったモノが魂を持つようになるのですから、魂を入れるにふさわしい物を作ることが修行なのです。
仏師は仏を彫っている間は身を浄めて心を集中し、祈りながら彫り続けることにより、自らの心の中にある仏を形作っていくのですから、乱れた心であったり、中半端な気持ちで仏を彫ってしまいますと仏の形相に現れてしまいますので、仏師の方も修行の連続なのです。
モノを作ることが修行であるとすれば、モノ作りを止めてしまえば修行のチャンスを失うという事になります。
大切な修行のチャンスが目の前にあるのですから、五感をフルに使い、心を浄め、集中し、真実を観る眼を目覚めさせるためにもモノ作りの修行をおすすめいたします。






