彼岸とは
彼岸とは我が国の季節の変わり目を示す雑節(ざっせつ)の一つで春分の日と秋分の日を中日とした前後3日間を合わせた14日間のことです。
仏教的な意味
彼岸は仏教ではサンスクリット語でpāram(パーラム)と言い、仏教用語では「波羅蜜」パーラミター(Pāramitā) となり、「彼岸に至る」という意味になります。
パーラミター(Pāramitā)は悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩が流れる川を越えて、その向こうに悟りがあるとされますが、死後の世界の三途の川の手前の岸を此岸、そして川を越えた向こう側の岸の彼岸というわが国固有の死後の世界観と重ね合わせられて捉えられています。
般若心経と彼岸
般若心経とは正式には「般若波羅蜜多心経」と言い、梵名はPrajñā-pāramitā-hṛdaya、 プラジュニャーパーラミター・フリダヤで、大乗仏教の根幹をなす経典であり、仏教の諸宗派でよく唱えられる経典です。
また仏教の修行として般若心経の写経はよく行われ、カルチャー講座でも人気の講座になっています。
般若心経は玄奘三蔵が中国からインドに求道の旅をして持ち帰った多数の経典の中の一つです。
般若波羅蜜多心経とは
- 般若…梵語では「プラジュニャー」、「智慧」のこと
- 波羅…梵語では「パーラ」、「彼岸」つまり悟りの境地のこと
- 蜜多…梵語では「ミター」、「渡る」こと
- 心経…重要な経典
「智慧を持って悟りの境地に渡ることを説いた経典」を意味しています。
般若心経で説く「彼岸」とは「悟りの境地」のことなのです。
彼岸の由来
一年の中でも二度だけ昼と夜の長さが同じになって、更に太陽が真東から出て真西に沈む日が春と秋にある、というのが春分の日と秋分の日で、彼岸と呼ばれます。
この特別な日には太陽が真西に沈むことから、あの世への門が開く日とされ、西方の極楽浄土に思いを馳せて先祖の供養をするようになったと言われています。
しかしながら彼岸という行事は日本独自のもので、インドにも中国にも無いことから、春と秋の彼岸にこの世に帰ってくる先祖をもてなす行事が仏教と結びついたと考えるのが自然です。
彼岸会とは
「日本書紀」の延暦25年(806)2月条には「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇のために転読させた」という記述がありますが、崇道天皇(早良親王)は桓武天皇の皇太弟に立てられたが、藤原種継の暗殺に関与した罪により廃され、絶食して没したという悲劇の親王で、その怨念を鎮めるための法要だったのです。
現代の彼岸の目的とは違いますが、彼岸に合わせての供養という意味では古くから行われていたのです。
彼岸とぼたもち、おはぎ
彼岸の時に先祖にお供えする「ぼたもち」と「おはぎ」は作り方が違ったりしますが大体同じで、炊いた米を丸めて小豆の餡で包んで作りますが、春の彼岸の「牡丹」が咲く頃に作るのが「牡丹餅」で秋の彼岸の「萩」が咲く頃に作るのが「お萩」です。