動物の毛皮反対

私達の身の回りにある皮、毛皮商品

毛皮のコート、マフラー、手袋、お財布、ハンドバッグなど、動物の毛皮や皮で作られた物はとても多く、毛皮のコートやマフラーなんてフワフワして肌触りが良く、高級感もあって、誰もが一度は欲しいと思うあこがれの品物です。

その他にはジャンパー、ズボン、帽子、ベルト、アクセサリー、ソファー、椅子、ハンドル、三味線や太鼓、象牙、印鑑、べっ甲、櫛など実に様々な物が私達の生活の中で使われているのです。

誰もが欲しがる訳

動物の皮や毛皮は人工的には作れませんし、柄にしても全く同じ物が無いことから希少価値が高い物であり、中々取れない物であればあるほど希少価値が高くなり、数千万円もするような毛皮のコートもあるのです。

乱獲による種の絶滅

希少価値が付いて値段が高くなれば毛皮や角だけの目的のために捕獲殺生された結果として絶滅したトキや絶滅寸前の危機に瀕したビーバーなど、高額で取引される金銭のために無謀な殺戮がされてきたことを反省しなければいけません。

毛皮は動物工場で生産されている

現在流通している毛皮のほとんどは工場のような場所で飼育され、食用として利用した残りを毛皮として使っているという説明がなされていますが、毛皮としての動物は食用にまわされていない事や、毛皮をはぐ行程がむごすぎることなどの事実が動物愛護の団体によって告発されています。

実際の映像を見てみますと、血だらけの動物が泣き叫んでいる姿や手足を切られたりする姿を見てしまいますと皆さんきっと毛皮を欲しいとは思わなくなるでしょう。

毛皮は要らないという運動が拡がることによって、動物の苦しみが減ることに繋がっているのです。

毛皮は要らないという活動をしている団体としては

JAVA NPO法人 動物実験の廃止を求める会

認定NPO法人アニマルライツセンター ヴィーガンファッション

などがあります。

殺生をしない生活

私達は生きていく上でお肉を食べたり魚を食べたりしていますが、肉は屠殺業者によって殺されて解体されて肉屋に売られ、私達が買う肉はパック詰めの物であり、おいしそうなお肉なのですが、動物は殺される瞬間に必ず苦しみの涙を流すそうで、そういった苦しみの上に私達の食生活は成り立っているのです。

仏教の戒律にある不殺生とは人や動物を殺さないことですが、私達は直接的に殺すようなことはしませんが、お肉を食べることによって間接的に殺生しているのです。

私達はただその殺生の現場を見ていないというだけのことであり、私達がお金を払って綺麗な製品として買っている裏には、残酷な殺生の現場を見なくて済むという代金も含まれているのです。

食べることに関しては肉を食べなくても生きていけますので、絶対に肉を食べないと栄養失調になったり死んでしまうことはありません、その証拠に世界中に数多く存在するベジタリアン、ビーガンは宗教的な理由などで全く肉を食べることなく普通に生きており、人口13億のインドでは全人口の3割がベジタリアンであると言われています。

私達は肉や魚を食べて豊かな食生活を満喫していますが、少なくとも殺生の苦しみの上に豊かな食生活が成り立っているという事実は再認識する必要があります。

動物の皮や毛皮も動物に苦痛を与えたり殺生した上で成り立っているのであれば、買わない、もしくは代替品を利用するなどの方法で動物の苦痛や殺生を減らすことが出来ます。

動物界とは

六道と言われる輪廻転生を繰り返す世界に於いて、私達人間界の世界の下には阿修羅の世界があって、阿修羅は頭脳明晰で私達よりも遥かに賢いけれどプライド故の争いが絶えることがないという理由で私達の世界の下にあり、その下には動物界があって貪りや怒り、無知の心が強く、考える力は少ないけれど痛みや苦しみは私達と同じようにあります。

動物界が私達の下にあるからという理由で昔は先祖の仏壇の中にペットを祀ってはいけないとか、人のお墓にペットの遺骨を入れてはいけないということが言われてきました。

また動物は畜生と言われ、相手をののしる時に使う言葉の「チクショー!!」は差別の言葉であり、お前は人間以下の存在、野蛮人であるという意味なのです。

動物界の底辺にある昆虫界の昆虫に於いては私達は普段から何気なく踏んだり叩いたりして罪の意識なく殺してしまいますが、昆虫にも苦しみがあることだけは知っていなければいけません。

動物界が私達の世界より低いからと言って差別をしてはいけませんし、私達の都合のいいように使っていい訳でもありませんし、殺しても構わないということもありません。

私達が生まれ変わり死に変わりで人間に生まれたということは本当はとても感謝しなければいけないことであり、動物や餓鬼、地獄界ではなかったことはとても恵まれているのです。

私達が生まれ変わり死に変わりで下に落ちていくことの最大の原因は殺生であり、今出来ることは必要の無い直接的或いは間接的な殺生を止めることです。

命を頂く時には

お肉を頂く時には命に感謝し、有難く頂くという観点で残さずに食べれば、命を成仏させたということになののかもしれません。

私達の祖先は遥か昔の狩猟をしていた時代に於いて、大自然から頂いた獲物を採り過ぎることなく最低限度頂いて、また再生してくるように祈りを捧げ、大自然との関係を乱すことなく生きてきたのです。

食事の時の「いただきます」は作って下さった方に感謝を込めて有難く頂きますと言う意味と、命を頂きますという大切な意味合いが込められているのです。

動物由来の製品を使う時には

ウサギ

私達の身の回りには動物に関する製品が数多くあり、多くの動物の犠牲によって出来た製品なのですが、例えば動物の角で出来た印鑑などは自然由来の製品で地球に優しいと言えるのですが、その製品を作り出して利益を得るためだけの目的で乱獲されたり、大切な部分だけを切り取って残りを捨てるような作り方をされていたら大きな問題なのです。

今ある物は大切に

今自分が持っている物は大切に使い、使えなくなるまで使いましょう。供養というものは感謝することであり、ありがとうの気持ちがあれば亡くなった命も救われます。

新しく買わない

今自分が持っている物が役目を終えたにしても新しく買わないこと、そして新しい物を欲しがらないことです。代替品または似たようなものがあれば殺生無き物を選択しましょう。

お焚き上げ供養

少しでも仏の心がある人は動物の毛皮を見ただけで生きていた時の様子が浮かぶものです。

成人式の時に頂いたとか、何かのお祝いで頂いたという物もあり、その時には何とも思わなかったけれど、最近になってそのようなことを感じるようになったという方もたくさんおられます。

動物を飼うようになって初めて家族以上の絆を感じたり、命の大切さを感じるようになった方もたくさんおられます。

以前は何も考えなくても身に付けることが出来た物でも、今となっては身に付ける気持ちになれないという方もたくさんおられます。

罪深い事をしていると思った時、供養と言うことができるのであればしてあげたいと思った時に最適な供養法はお焚き上げ供養です。

高野山真言宗やすらか庵では命に対しての供養を充分にした上でお焚き上げ供養をさせて頂きます。

お焚き上げ供養は毎日の読経供養で命に対する供養をして魂を鎮め、お焚き上げの火で浄化し、天にお還しするのです。

命に感謝

この世の全ての物には命が宿り、生まれては死に生まれては死にを繰り返しているけれど、私達のこの世界を動かす大きな神は全ての命に使命を与え、たとえ死んだにしても温かく迎え入れ、次は少しでも良い所に生まれ変わるようにとの願いを込めて全ての命を見守っているのです。

私達はついつい自分本位で物事を考えてしまい、自分のお洒落のためなら、自分の楽しみのためならという理由で他の命を奪ってしまっているのです。

私達は家族に支えられ、周囲近隣に支えられ、同僚に支えられ、そして多くの人達に支えられて生きていると共に、数多くの失われた命によっても支えられているのです。

正しいことを知ることはとても大切なこと、本当に正しいことが分かれば自然と次に何するべきかが分かってくるものです。