徳川家康とは

徳川家康の戒名のイラスト

徳川家康は戦国時代から江戸時代初期にかけての日本の将軍であり、戦国大名です。

徳川家康の経歴

徳川家家門のイラスト

三河国(現在の愛知県東半部)に生まれて幼名を竹千代と名乗り、幼少期を織田氏ついで今川氏の下で人質として過ごしたが、桶狭間の戦いでの今川義元の討死を機に今川氏から独立して織田信長と同盟を結んで勢力を広げました。

信長が本能寺の変において死亡すると天正壬午の乱を制して甲斐国・信濃国を手中に収め、更に信長没後に勢力を伸張した豊臣秀吉と小牧・長久手の戦いで対峙しましたが、後に秀吉に臣従しました。

やがて秀吉没後の慶長5年(1600)には関ヶ原の戦いで西軍に勝利し、慶長8年(1603)には征夷大将軍に任命され武蔵国江戸に幕府を開いたのです。

慶長20年(1615)には大坂の陣にて豊臣氏を滅亡させ、日本全国を支配する体制を確立したのです。

徳川家康ゆかりの寺社

日光東照宮のイラスト

幼少期から人質として過酷な環境に置かれていた徳川家康にとっての寺院や神社は特別な存在であり、戦乱の世に於いて生き残っていくためには、人一倍信心深い心の持ち主だったのです。

久能山東照宮

徳川家康の御遺体が埋葬されている神社です。

徳川家の権勢を物語る極彩色の社殿は、桃山時代の技法の影響が色濃く残されており、その見事な彫刻や極彩色を施された御社殿や楼門などは、国の重要文化財に指定されています。

場所…静岡県静岡市駿河区根古屋390

日光東照宮

日光東照宮は江戸幕府初代将軍の徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る神社で、日本全国の東照宮の総本社的存在です。

御遺体を葬った久能山東照宮、御霊を祀った日光東照宮、御位牌を納めた菩提寺の大樹寺と、家康の死後は遺言通り主に3つに分けられて、三大東照宮と言われています。

場所…栃木県日光市山内2301

大樹寺

徳川家康将軍家の菩提寺です。

桶狭間の戦いで今川義元が倒れ、19歳の家康が身の危険を感じ逃れたのが大樹寺でした。

祖先の墓の前で自害を覚悟した家康に大樹寺住職登誉上人が訓した言葉が「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)でした。

「この世は穢れに満ちているので浄土を求めなければいけない」という意味です。

家康はこの言葉を座右の銘として、平和な世の中を築く決意を固めたとされます。

場所…愛知県岡崎市鴨田町字広元5‐1

徳川家霊台

徳川家霊台

高野山にも南院のすぐ上にありますよ。

寛永20(1643)年に三代将軍家光が建立した江戸幕府初代将軍徳川家康と2代将軍秀忠を祀る霊台です。

日本で最も長い戒名

徳川家康の位牌のイラスト

最も長い戒名でダントツ一位は徳川家康の「東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」です。

このような長い戒名で位牌を作るとお寺の屋根から飛び出してしまうかもしれません。

朝廷から授かった神号が「東照大権現」で日光東照宮のことです。

家康が建てた寺の増上寺の中で家康公を祀る廟が「安国院」で更に殿が付きます。

浄土信仰を抱く人々の念仏結社が「徳蓮社」で、崇めるべき尊い方と言う意味の「崇誉」で、戒名は「道和」ですが、大居士ですから「院殿大居士」なんて他に無い戒名ですが、日光東照宮などでは徳川家康が神として祀られているのですから、普通の人と比較するようなことではありません。

自分死後は神様として祀らせるようなスケールの大きい方ですから、何でも大きくて当たり前なのです。