諸行無常とは

蓮の花

諸行無常とはこの世の中のものは全て流動変化していて、常に同じ状態ではないと説く釈迦の悟りの内容です。

諸行無常の由来

釈迦入滅を説いている「大般涅槃経」(だいはつねはんぎょう)には諸行無常偈と言われる部分があり「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」と記載されています。

この世にあるすべての現象や事象は、常に移り変わっている。この変移する事実こそ、無常の真理である。変移にとらわれると苦悩も果てしなく続くが、とらわれる心をよく整えて管理すれば、身も心も安らかになって、楽の境地となる。

このような意味ですが、釈迦の悟りはいつの時代あっても不変の真実であり、今の時代にあっても変わらぬ説得力があるすらこそ仏教は続いているのです。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

祇園精舎の鐘

平家物語は鎌倉時代に成立した軍記物語で、保元の乱、平治の乱で勝利した平清盛が太政大臣となって平家が京都で栄華を極めてから最後に山口県の壇之浦にて没落するまでの約20年間の栄枯盛衰の物語で、冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は平家物語の内容の導入部としてしみじみと考えさせられるものがあります。

祇園精舎とは釈迦の供養のためにと給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ)が寄進した修行道場であり、そこで修行している弟子達は自らの死が近づいたことを悟ると、「無常堂」という場所に移動して、やがて亡くなると鐘が鳴らされたそうで、無常堂の鐘が鳴らされる度に人の命が永遠ではないことを知り、そのはかなさが鐘の音となって響き渡ることを言っているのです。

諸行無常の理由とは

涅槃行には「我、諸行を観ずるにことごとく皆無常なり。いかんが知るや、因縁をもっての故なり。もし諸法の縁より生ずることあるものはすなわち無常なりと知る」と説かれていますが、因縁とは「因」が直接的な原因、「縁」が条件とか、間接的な原因です。

更に「もし諸法の縁より生ずることあるものはすなわち無常なりと知る」では因縁がそろって生じたものは、やがては因縁が離れるから続かないことを説きます。

この世の中のものが全て因縁によって出来ている以上、そして因と縁は永遠に続くことなく離れてしまうので、因と縁が離れてしまえば諸行無常なのです。

私達は忘れ去られる存在である

忘れ去られる存在-無縁仏

歴史上に偉大な業績を残した人は、その名前や業績はいつまでも残るものですが、私達はもし亡くなったとしたら、今生きている人達が果たしていつまで覚えていてくれるのでしょうか。

おそらく30年が限界だと思われます。

今生きている人達が覚えていてくれていても、次に語り継がれることがないからです。

私達は所詮、忘れられる存在なのです。

何か残したいと立派なお墓を残したところで、お墓だけはいつまでも残るかもしれませんが、お参りする人がいなければ、負の遺産となり、墓じまいということになり、廃棄物になってしまうのです。

この世は「諸行無常」、永遠に続くものは一つもないと説かれ続けているのに何かを残そうとするのは、人間の最後の欲望なのかもしれません。

私達は誰でも死に対しての恐れがありますが、死後の世界に対する恐れと、現世で自分の生きた証が消えていくことに対する恐れがあるのです。

死んだ後になっても自分のことを覚えている人がいつまでも居ればある意味人間冥利に尽きるのかもしれませんが、普通に生きていた人ならば間違いなく忘れ去られるのです。

執着を離れること

諸行無常で大切なことは永遠に続くものは一つもないということを悟ることです。

  • お金をたくさん持っていてもやがて必ず死が訪れる
  • 死後の世界にまでお金を持っていけない
  • 最愛の夫婦であっても別れの時が来る
  • 会社で出世したと思っていたら左遷されてしまった
  • 昨日まで協力的だった人の態度が急変した
  • 何一つ不自由の無い生活だが、心が寂しい
  • 仲が良かった兄弟なのに裏切られた

幸せな生活も幻想であり、不幸せな生活もまた幻想なのです。

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釈迦の悟りから見たらこの世の中にあるものは全て諸行無常に映るのです。

ですから、何一つこだわってはいけない、執着してはいけないのです。

諸行無常を生かす

諸行無常は釈迦の悟りの大切な内容ですが、私達の生活の中でどうやって生かせばよいのでしょうか。

諸行無常の筆頭は人間の死である

祇園精舎

祇園精舎では多くの出家者が釈迦の教えに従って修行を続けていましたが、多くの修行者が居る中で、年老いた修行者は自らの死を見つめるために「無常堂」に籠ります。

やがて静かに遷化された修行者が運び出されると無常堂の鐘が突かれ、人々は人生のはかなさを思い、永遠に続くものが何一つないということを実感すると共に、人の世の短さを痛感したのではないでしょうか。

これはいつの時代でも同じことで、人の世は短い、と言いますか、短すぎるのです。

何かしようと思っていても、何も成し遂げられないままに終わってしまうのが人生なのです。

大切なことに気付くこと

私達は人として生まれたのだから、楽しいことをして過ごさないと損だと誰もが思うのですが、私達の人生はあっという間に終わってしまうのですから、本当に大切なことをしなければいけません。

本当に大切なこととは、真実に気付くことです。

真実に気が付けば今の自分が何をしなければいけないのかが分かってきます。

それを教えてくれているのが諸行無常なのです。