以心伝心とは
以心伝心とはお互いに言葉を使わなくても心と心が通じ合っていること。
以心伝心で仲良し夫婦
人間歳を取ってきますとどうしても会話が少なくなるものですが、長く一緒に生きてきたのだからお互いに分かっているからとも言えますし、会話をするのが面倒だということもあるかと思います。
しかし言葉が無くてもお互いの心が分かっているというのは相当に出来た夫婦であり、会話が無くなってしまえば意思のすれ違いが起こってきますので、気が付いたら熟年離婚していたということもありますから、やはりある程度の会話は必要なのです。
以心伝心と仏教
禅宗では言葉や文字で言い表すことが出来ない仏法の真髄を師僧から弟子に伝えることを言い「心を以って心に伝う」と読みます。
宗教は心の中を探求しますので、どうしても心の中の様子を言葉や文字では表すことが困難で、師僧は弟子の心の状態を観ながら仏法を伝えていくという方法になるのです。
先祖の世界
御先祖様の世界はあの世の世界で目には見えない世界ですから、心と心でつながる世界です。
御先祖様と心の交流をしようと思ったら普通の言葉で話せば良いのですが、やはり最後は合掌して以心伝心、心の会話でつながれば、いろんなことが次々と浮かんでくるのです。
御先祖様からいつも守ってもらっているのに、気が付かない、忘れてしまっていることは何と罪深いことです、有難う御座いますの気持ちを手向けましょう。
御先祖様と交流するには家に仏壇があれば、仏壇を通して交流するのが最も手軽な方法で、毎日お勤めをしていましたら以心伝心、御先祖様からいろんなことを教えて頂けるようになります。
神仏の世界
神仏の世界もまた目には見えない世界ですから、心と心でつながる世界です。
神仏と以心伝心の関係になるには、こちらの魂を向上させて神仏に近づく必要がありますが、とにかく毎日神仏に対してお近づき出来るように礼拝していれば、そのうち入我我入と言いまして、神仏の方から来て下さるようになるのです。
以心伝心は普段の会話から
私達人間はコミュニケーションを通してお互いに分かり合えるようになっていますので、まずは言葉を使って意思表示をして、お互いの気持ちを確認する方法が最も確実な方法です。
たとえ分かりきっていることでも言葉に出して言うのです。
昔タイプの人は「言わなくても分かっている」「当たり前のことは言う必要ない」と言いますが、人と人とが真に分かり合える秘訣は「当たり前のことを言う」ことなのです。
たとえ当たり前のことであっても言うことによって会話が生まれ、それがコミュニケーションにつながるのです。
「おはよう、今日も晴れているね」ということから会話が生まれ、真に分かり合える関係になるのです。
そして真に分かり合える関係になって初めて以心伝心で心が伝わるようになるのであって、何も会話の無い関係からは以心伝心は生まれてこないのです。
つまり普段の会話の積み重ねの延長線上に以心伝心があるのです。