同じ過ち

過ちのイラスト

私達は誰でも日常生活や仕事などの場面で失敗はつきものであり、時には同じ過ちを犯してしまいますが、失敗した時の不利益が大きければ大きいほど同じ過ちをしないように気を付けていても、時間が経って忘れた頃にまた繰り返されるものです。

心と体の傷

大事な仕事なのに失敗して顧客に迷惑を掛けてしまった…

上司と喧嘩して怒りを買ってしまい、出世の道を断たれた…

仕事中の不注意で事故を起こして怪我をしてしまった…

などの失敗はつきもので、失敗した後の対応がまずいと、余計に悪くなってしまうものです。

このように過ちを犯すと時間やお金の無駄になってしまいますので、何時までも心や体の傷になって残っていることが多く、生じた不利益を取り返すのに多くの労力を費やすことから、過ちというものは社会的にも経済的にも大いにマイナスになってしまいます。

大きな過ちになればなるほど心や体の傷が深くなってしまいます。

反省について

私達が過ちを犯した時には、その不利益によって心や体にダメージを受けますので、よく反省した上で、次回からは同じ過ちを犯さないようにと失敗の原因について真剣に考えて、失敗によって得た経験を活かすことによって、失敗が活かされたと言えるのです。

失敗した時に動物でも学習能力があって同じ過ちをしないようにしますが、その原因を考えて分析したうえで反省できるのは人間ならではの特徴です。

原爆の日

我が国は広島と長崎の原爆投下によって甚大なる被害を被ったことを踏まえて1945年8月15日に終戦を迎えましたが、広島の原爆の日は8月6日、長崎の原爆の日は8月9日で、今年2022年には77回目の原爆の日になるそうです。

私は長崎出身で父親が被爆者であったために56歳で亡くなり、私は被爆二世になりますので、原爆に対しては特別な思いがあります。

長崎の当時の爆心地である平和公園では毎年8月9日に平和記念式典が行われ、原爆が投下された11時2分には被曝犠牲者に対して黙とうが捧げられています。

長崎の原爆

香焼島から撮影された長崎原爆のキノコ雲(松田弘道撮影)

原爆被爆直後の長崎は全くの焼け野原となって悲惨な状況であり、50年間は草木が生えないとまで言われたそうですが、今の長崎の街を歩いていても、そのような痕跡を見るようなことはなく、人々の記憶から消え去っていくものです。

被曝して全身に大やけどを負い喉が渇いた人達が一杯の水を求めて浦上川に押し寄せたそうですが、死人の浮かぶ川になっていたそうで、それでも水を下さい、水を下さいと懇願する火傷をした人には絶対に水を飲ませてはならぬという教えを守り、水を飲ませてあげることが出来なかったことに後悔する方も居られるのです。

さすがに77年もの時間が過ぎますと、原爆のことを語ることが出来る生き証人の方が超高齢になってしまい、そういった方もやがては居なくなってしまうような時代になっていることは危機的な事であり、我が国が戦争をしていたという事がもう昔話になろうとしているのです。

過ちを繰り返さないように

広島と長崎の原爆によって一瞬で亡くなった方が20万人程度、そして現在までに亡くなった方は50万人を超えるとされ、現在でも後遺症に苦しんでいる人が居ますので、犠牲者の方々は口をそろえて戦争と言う大きな過ちを繰り返してはいけないと真剣に訴えかけているのです。

戦争になったら普通に暮らしている人達が戦場に駆り出され、苦しい生活を強いられて自由を奪われ、国のために命を捧げなければいけないのです。

当時のことを知っている人達の記憶がまだ生々しい内は戦争をしてはいけないという機運が高く、平和の有難さを身に染みて感じていたのですが、そういった人達が居なくなってくればまた軍事力を増強すべき、核を保有すべきという世論が増えてきています。

しかし我が国の周囲では独裁国家が周囲近隣の国を略奪することを正当化し、核を保有して核の使用をちらつかせ、ミサイルを近海に打ち、領土の侵犯や略奪の脅しを受ける度に強い武器を持たなければ自分達がやられてしまうという恐怖感を持たざるを得ないのです。

「災害は忘れた頃にやって来る」とは昔から言われていることですが、今は「戦争は忘れた頃になって来る」のかもしれません。

戦争は欲望のぶつかり合いで、力で相手の物を取り上げて、力で相手を服従させるのです。

何時の時代も何と人間は愚かで欲深い存在なのでしょう。

今出来ること

毎日キナ臭いニュースばかりが流れて危機感を煽られて、心の中は波風が立つばかりなので、穏やかな状態で居ることが困難な時代になってしまいました。

しかしキナ臭いニュースに煽られて自己防衛しようと思っても野次馬見物するばかりで何も出来ることはありません。

結局は同じ生活を送るしかないのです。

こういう時こそ毘沙門天の守護の力にすがりましょう。

単独での毘沙門天

毘沙門天の中でも兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)は国家鎮護の毘沙門天です。

やすらか庵の毘沙門堂にも兜跋毘沙門天をお祀りしています。

時は唐の玄宗(げんそう)皇帝時代、国土を奪う戦いで中国西域の安西城(あんせいじょう)が敵に包囲された時、僧侶達の祈りによって土地の神が地中から兜跋毘沙門天を湧出させて城の楼門に出現し、敵を退散させたという伝説があります。

兜跋毘沙門天は武将系の姿をしている毘沙門天の中でも最も異国風の姿をしていて、大地の神である地天に両足を支えられて立ち、2匹の鬼である尼藍婆、毘藍婆を従えています。

我が国では弘法大師空海が唐から招来して平安京の羅城門上にお祀りしていたものを現在では教王護国寺の毘沙門堂に安置されている像が国宝として有名です。

私は毎日世界平和の祈願をさせて頂いて居ります。

核兵器を開発するよりも皆で兜跋毘沙門天に守ってもらった方が強力な防衛力になるのです。