災いとは
災いとは自然災害や事故、火災、病気などのことで、予告なしに突然私達の身に降りかかってくるもので、避けようとしても避けられないことが多く、悪い結果をもたらすことにより、苦しみの原因になってしまいます。
私達の身に降りかかる災いとは
自然災害
地震、津波、噴火、台風、竜巻、洪水、旱魃などの自然災害は避けることが出来ないものです。
最近では地球温暖化の影響で台風や竜巻は50年、100年に一度と言われるレベルの大規模災害が頻発していて、甚大なる被害をもたらしていますし、蓄積されたプレートのひずみによる南海トラフ地震や富士山噴火も今すぐに起こるかもしれないというレベルに到達しているのです。
自然災害は多くの人が同時に被害を受けて家や人命を失ってしまいますので、地域内での助け合いが困難になり、自衛隊の派遣やボランティアの協力などが必要になりますが、最近では遠方に居ても寄付金などで協力できますので、たとえ少ない金額でも多くの人が協力することによって困っている人を助けるという菩薩行が実践できるのです。
事故
交通事故、労働災害など車や機械に巻き込まれたりの事故は毎日至る所で起こっていますし、普通に歩いていても物が倒れてくる、落ちてくるなどの事故も至る所で起こっているのです。
最近では車にドライブレコーダーを付ける人が多く、証拠画像としてのテレビのニュースやインターネットで公開される事故の映像を見てみますと、信号無視や道路の逆走、居眠りによる激突、荷物の落下、無理な追い越し、暴走行為、あおり運転など、安全運転していても避けられないことが起こることが分かります。
事故というものは降りかかってくるだけではなくて、自分の不注意で起こしてしまうこともあります。
過労や病気による不注意、慣れによる注意力散漫などで起こした事故は自分の責任になりがちですが、過労による事故などは会社の責任として認められるような流れになっています。
火災
火事は築いてきた財産を失くしてしまうと共に人命まで無くすこともあり、家族揃って路頭に迷うことになります。
更に悪い結果として隣近所にまで延焼すれば、一生償っても償いきれないということになってしまいます。
不注意や漏電などによる火事も多いですが、最近では物騒な世の中になって、窃盗、殺人、放火などの極悪非道の犯人の餌食になったり、精神異常者の放火の犠牲になったりする事件が頻発しています。
昭和の中頃位までは槇や石炭で風呂を焚いたりご飯を炊くことは何処の家庭でも普通に行われており、冬は火鉢や薪ストーブなどで暖を取っていましたので、今の時代よりも火事になることが多かったのですが、今の時代はオール電化が進み、更に安全装置も付属していることから火災が起きにくくなっていますが、それでも相変わらず至る所で火災は起こり続けているのです。
病気
病気には体の病気と心の病気があって、どちらも苦しみがあります。
病気は予防医学が進歩していますので、気を付ければ減らすことが出来ますが、しかしどんなに気を付けていても病気になってしまうことがあるのです。
近年では人間関係のストレスなどが原因での精神疾患が増えましたが、病気であることに気が付かないことが多く、心の病気が体の病気となって初めて気が付く人もいます。
精神的な病気はその症状を説明することが難しく、霊的な症状と思い込んで霊媒師に頼った結果、最悪の事態になることもあります。
精神的な病気は本人の自覚と周囲の人の理解、そして原因の除去が必要で、薬の服用によって改善されますが、薬の副作用も当然あります。
癌や白血病などで不治の病を宣告されたら頭の中が真っ白になり、どうしたら良いか分からなくなり、何も出来なくなってしまいます。
しかし人間誰でも生きている時間は限られていて、少し長いか短いかだけの問題ですが、その限られた時間の中で何をなすべきかということが最も大切なことで御座います。
災いと仏教
災いは避けることが出来ないもので、必ずやってくるものです、仏教はその事実を真摯に受け止めてどのように対応すればよいのかを教えてくれるのです。
四劫と三災
仏教の世界観では、世界の成り立ちから破滅までの循環するサイクルのことを四劫(しこう)と言い、循環の過程の中で起こる災いを三災と言います。
四劫とは
仏教に於いて一つの世界が誕生して形が整い繁栄して、やがて破壊を迎えるまでの間を四段階に分けて四劫と言います。
- 成劫(じょうこう)…草木などが生えて衆生が住む衆生世間と、周囲の器世間が成立する期間
- 住劫(じゅうこう)…衆生世間と器世間が存続、継続する期間
- 壊劫(えこう)…衆生世間が破壊して器世間も破壊する期間
- 空劫(くうごう)…全ての世間が破壊して次の成劫までの間の空となる期間
三災とは
世界の誕生から破壊までの四劫の中で住劫の時には「小の三災」が、壊劫の時には「大の三災」が起こると言われています。
小の三災
- 刀兵災(とうびょうさい)…人が互いに凶器を持って殺害し合う
- 疾疫災(しつえきさい)…疾病が流行する
- 飢饉災(ききんさい)…雨が降らず旱魃による飢饉が起こる
大の三災
- 火災…火災によって初禅天までを焼き尽くす
- 水災…大水害によって第二禅天までを水没
- 風災…大風害により第三禅天までを吹き飛ばす
災いは必ずくるもの
世界の創生から破壊を繰り返している循環の中では災いは破壊の働きを持ちますが、同時に新たに生まれるための条件になるのです。
災いは作り上げたものを壊す働きがあり、破壊する力となりますが、破壊があるからこそ再生があるのであり、破壊と再生は大宇宙の原理でもあるのです。
そういう意味では災いは掃除、片付け、清算、お清め、お祓いに通じるものであり、決して無駄なものではありませんから、災いを活用して福に変える「災い転じて福となす」という考えが生まれるのです。
災いを素直に受け入れる
天災などの災害は避けられないものではありますが、災害を恨んでも仕方ありませんし、苦しい経験を通してこそ今まで見えなかった小さな幸せでも大きな幸せになることが出来るし、生きているだけでも有難い、普通に生活するだけでも有難いという素直な気持ちになれるものです。
この心こそが「災い転じて福となす」の心であり、悲しむべき時には大いに悲しんで、やっと見つけた小さな喜びを大いに喜び、笑い声が聞こえてくる家にすることが日本人の心なのです。