「災い転じて福となす」とは

福ダルマ

「災い転じて福となす」とは自分の身に降りかかった災いを利用して幸福に変えることです。

災いについて

病気や怪我、事故や失敗など、災いと呼ばれるものは、私達の人生において好ましくないものであり、なるべくなら、そういったものとは無縁の生活を送りたいもので、欲を言えば毎日幸せなことが理想です。

出来ることなら災いが来ることなく、福だけが自分の所に来て欲しいと願うのが人情というものですが、世の中、都合のいいようにはいかないものです。

災いについては必ずしも決まった形のものがある訳ではなくて、人によってとらえ方が違ってきます。

例えば他人に迷惑を掛けてしまった場合、人や物のせいにして決して自分の非を認めずに、その失敗が災いだったと思う人もいれば、誠実に謝った結果として却って信頼を得るような人もいるのです。

災いと幸福の材料

災いと福が出来る材料があるとしたら、実は全く同じで、同じ材料から災いにも福にもなるのですが、例えば仕事上の失敗。

失敗したことを部下や人のせいにしたり、物のせいにして、決して自分の非を認めない人は、失敗の原因を取り除いていないので、また同じような失敗を繰り返しますが、失敗したことを真に反省し、人を責めることなく素直に謝ることが出来る人は却って信頼を獲得し、次の失敗をしないようにと自分に言い聞かせることが出来れば、失敗したという事実が次の福を生み出す源になっていくのです。

災いにもなるし幸福にもなる

災いも幸福も実は同じ材料で出来ているとしたら、どちらの結果に導くかは本人の心掛け次第ということになります。

要するに幸せが舞い込んできたら「有難い」と感謝してその幸せを充分に堪能し、災いが舞い込んできたら今の自分に必要だったからと素直に受け止めて、回復するために自らも努力して神仏やご先祖様にもお願いすれば必ず助けて下さるものなのです。

災いは幸福になれるチャンス

幸福というものは簡単には訪れてくれないものですが、災いというものは意外と誰にも訪れるもので、誰だって災いには来て欲しくないと思うものですが、災いも幸福も同じ材料なら、災いを幸福に変えてしまう方がより多く幸せになれそうです。

災いを避けて幸福を呼び込むというのは実は人間にとっては都合の良すぎる話であり、人生というものは必ずバランスというものがあって、良いとこ取りばかりすることは出来ないようになっているのです。

災いも時には必要だから訪れるものであり、幸福になれるチャンスだと思えば災いもまた有難いものなのです。

毘沙門天は災いを福に変えてくれる

毘沙門天は仏法を守る守護神で、四天王の一員として寺院にお祀りされていますが、鎧兜を身に付けたその姿は仏法に対する外敵から守るという使命の他に災難が来ないように護っているという使命も果たしているのです。

仏法を守り、実践するためには安楽で平和な場所が必要になり、そこでは災いの無い世界が広がるのです。

毘沙門手は四天王の他に七福神としても活躍されています。

毘沙門天七福神が乗る宝船の船頭神。

恵比須天大国天、毘沙門天、福禄寿寿老人、弁天さんに布袋さん、7人揃って練り歩けば、災いを福に変えていきます。七福神は失敗しても笑い飛ばし、瞬時に福に変えていきます。失敗しても笑ってさえいれば、その笑いが次の幸せを運んでくるのです。

写真のダルマは私がもう15年も前にクレイアニメーションの仕事をしている時に作ったキーホルダーでした。