信頼とは

信頼とは

信頼とは信じて頼りにすること、そして頼りになることを信じることです。

信じるとは

信じるとは相手の言葉や行いが今はもちろんのこと、将来も正しいことであると疑わないことです。

人を騙したり、嘘をつく人、悪い行いをする人は信じることが出来ません。

神様を信じるとは神様の教えが正しい、神様が自分を守ってくれるということを疑わないことです。

相手と共に行動することで相手の思っていることや、物事に対する取り組み方が分かってきますが、そういった過去の経験を基にして今、もしくは将来の相手が自分を裏切ったり、自分に対して悪事を働くことが無いという気持ちで安心して居られることが信じるということなのです。

頼りになるとは

頼りになるとは、その人が居ることで心強く思うことが出来たり、心穏やかに安心して居ることが出来ることを言います。

「信じる」も「頼りになる」もどちらも相手が居ることを前提としたことであり、その相手に対して好感を持っていること、相手も自分に対して好感を持っていることで成り立つ関係です。

自分のことを守ってくれたり、正しく強いリーダーシップで物事を進めていく人は頼りになる人であり、特に女性の立場では、自分のことを守ってくれるという強い力と、物事に対してグイグイと引っ張っていってくれる強い精神力を持った男性に惹かれるものです。

信頼できる人

信頼出来る人とはその人の言う言葉や行動に疑わしいことが無く、安心して物事を頼んだり任せたりすることが出来る人のことです。

嘘をつかない、隠し事が無いような人は信頼出来る人だと言えるのですが、同じ人でありながらある人には信頼され、ある人には信頼されていないということもあることから絶対的な基準が無く、信頼というものは人間関係の度合いによって違ってくるものです。

自分にとって信頼できる人が居るかと質問に対して、たくさん居ると答える人と、ほとんど居ないと答える人の違いは何なのでしょうか。

信頼できる人がたくさん居る人は、自分がその相手を信頼し、相手からも信頼されているということで、信頼できる人がほとんどいない人は、自分からも相手を信頼していないし、相手からも信頼されていないのです。

信頼されるためには

他人から信頼されるためにはどのようにしたら良いのでしょうか。

そのためには

  • 嘘をつかない
  • 騙さない
  • 裏切らない
  • 隠し事が無い
  • 正しい判断
  • 誠実である

このようなことを日頃から実践している人は、他人から信頼されます

仏法の実践

受戒、授戒とは

仏法帆実践している人は魂が向上していきますので、当然の結果として人から信頼されるようになります。

魂が向上することによって安心感が漂い、自然と人が集まってくるようになるのです。

人を騙さない、暴力を振るわないような人の心はとても温かいので、傍に居るだけで安心できるのです。

仏法の実践としては十善戒を守るように努力すれば心がとても穏やかになります。

十善戒とは仏教に於ける十悪を否定する形にした戒律のことです。

  • 不殺生(ふせっしょう)…生きものを殺さない
  • 不偸盗(ふちゅうとう)…盗まない
  • 不邪淫(ふじゃいん)…淫らな行いをしない
  • 不妄語(ふもうご)…嘘をつかない
  • 不綺語(ふきご)…お世辞などを言わない
  • 不悪口(ふあっく)…悪口を言わない
  • 不両舌(ふりょうぜつ)…二枚舌を使わない
  • 不慳貪(ふけんどん)…むさぼらない
  • 不瞋恚(ふしんに)…怒らない
  • 不邪見(ふじゃけん)…間違ったものの見方をしない

これらの戒律を守っていたら心と体が少しずつ綺麗になっていくのが分かります。

毘沙門天と信頼

毘沙門天の守護

毘沙門天は妃の吉祥天と子の善膩師童子と共に家族の神であり、私達に対して幸せな家族の姿を説いて居られますので、私達はたくさんのことを学ぶことが出来ます。

天の世界では自分だけの事だけしか考えないような自己満足の住人は居ません。

お互いに他のために尽くし、他の幸せを自らの喜びとするからです。

この実践行を利他行と言って、他を利益する修行なのです。

他に尽くすばかりで、騙したり騙されたりなどの不利益が一切無い世界ですから、疑うようなことがありませんし、あるのは信頼だけなのです。

しかしながら天の世界では利他行を修行として行っていますので、私達も実践すれば信頼の世界が出来るはずなのです。

利他行を一番しやすい場所は家庭なのですから、家族の人に対して実践してみましょう。

ウチの亭主は信頼出来ないなんてこと言っていたら家庭崩壊です。

只ひたすらにこちらから相手を信じて頼ること、そして大切な事は見返りや結果を期待しないことです。

「信じて損した」などのことを言う人は、信じることによって何らかの見返りを期待しているのであって、天の世界では見返りを期待する者は居ないのです。

そして神仏に対しての信仰心はとても大切で、私達の世界は眼に見える世界だけで構成されている訳ではありませんので、神仏を信仰し崇拝する対象として信頼することで、神仏の世界からも信頼されるようになるのです。

信頼関係は相手が居てお互いの関係なので、人であろうと神仏であろうとまずはこちらから信頼することで始まり、毎日誠実に実践することで、やがては相手からの信頼を得ることが出来るのです。