家族神とは

毘沙門三尊

毘沙門天は妃の吉祥天女、子の善膩師童子と共に家族で居られる神であり、私達の傍にありながら家族の幸せを願い、実践しておられるのです。

毘沙門天の活躍

毘沙門天は仏教では四天王として須弥山の中腹にある四天王天の四方に居り、東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天は仏法を守護する役目を担っており、この場合には多聞天と呼ばれます。

また、福徳を授ける七福神の中にも入っていて、宝船を守護する役目を担います。

これらの場合は四天王、七福神というチームワークの中に入っているのですが、単独でお祀りされることもあり、家族の形態をとってお祀りされることもあります。

家族神として

家族の神様

毘沙門天は妃の吉祥天女、子の善膩師童子と共に家族を形成しているので、仏教では諸仏、諸菩薩、諸天など無数の仏がいるような中でも家族の神様というのは、とても珍しい存在なのです。

尚、私は随所で毘沙門天王を仏ではなく、神として呼んでおりますが、私の師匠もそうでしたが、毘沙門天の行法をする者には、明らかに神様であることを実感しておりますので、ご了承ください。

毘沙門天と吉祥天女の間には5人の子供がいて、他の4人は独健(どくこん)童子・那托(なた)童子・狗抜羅(くばら)童子・甘露(かんろ)童子で善膩師童子は末っ子なのですが、何故かしら末っ子が後を継いでいるが、これはおそらく毘沙門天の由来として、西方の遊牧民が末子相続していたことによるものではないかと思われます。

末子相続とは、遊牧民の社会では、子が成人すると親から家畜や奴隷などの財産を与えられて独立するが、末子は独立することなく親元に居続け、親が死ぬとその財産を全て相続することからとても理に適った方法なのです。

何はともあれ、ここでは、毘沙門天が家族の形態をとっているということが重要で、神様であっても結婚したり子供ができたりするんだなと思うと、とても親近感が湧いてくるものなのです。

天界にも寿命があり、神々も歳をとっていくことを思うと、善膩師童子もいつかは大人になる日があるはずなのですが、

いつまでも子供の姿のままであるということは、父と母と子という家族を守る守り神であり続けるということなのです。

ついに人口減少の時代になってしまった

悠久の歴史の中で、日本の国は大陸と結合したり分離したり、大陸からの民族が住み着いたりして、現在の大体の日本の形が出来上がってからは縄文時代にあたる紀元前6100年頃の日本の総人口が21,000人であったと推定されることを考えると(鬼頭宏の研究による-経済学者、歴史人口学)この広い日本列島にたったの2万人程度の人しか住んでいなくて、今の時代なら、東京ドーム(5万5千人収容)に招待すれば、余裕で収容できるほどの総人口だったのです。

この頃の生活は狩猟で食料を採取し、竪穴式住居にムラという単位で住んでいたのですが、以後は天変地異や気候変動などの影響を受けて多少の増減はありながらも少しずつ確実に我が国の人口は増えていき、同時に「家」と「家族」も確実に増えて行って現代に繋がっているのです。

しかしながら、何千年という長い時間をかけて増えて行った我が国の人口も2011年を境に減少することになり、今ではその現象のスピードがどんどん加速されていき、人口の減少と共に、少子高齢化や核家族化などの問題が起こってきているのです。

今までは人口は増えて当たり前で、何も考えなくても増えていっていたのですが、これからの時代は、人口が減っていくと共に、老人ばかりの社会になっていくのです。

何故人口が減るのか

我が国の経済は特に戦後に驚異的なスピードで発展し、先進国に追いつけ、追い越せとの全国民のスローガンのような共通認識があって、皆が一生懸命に努力してきた結果として、物質的に豊かな社会が実現して、平和な世の中を満喫してきました。

これまでの価値観が、男性は社会的な地位を得て家と家庭を持ち、女性は結婚して仕事を辞めて家庭に入り、子供を設けて子育てをすることが美徳であったのです。

一昔前までは欲しいものがあってもなかなか手に入らない時代であり、買い物をするにも料理をするにも、誰かに手伝ってもらわないと一人では出来ないので、家族がいるということはとても心強いことであったのですが、今の時代、その気になればすぐにお金で何でも手に入ります、食事にしてもコンビニもファミリーレストランも24時間空いています。

お金さえあれば結婚しなくても、一人で充分生きていけるのです。

結婚ということに関して、それが幸せであるという価値観も薄れました。

結婚する年齢にしても晩婚化がどんどん進み、生涯独身のお一人様が増え続け、結婚してもすぐに単純な理由で別れてしまうカップルが続出し、万一幸せな家庭を築いたとしても、子育て手環境の厳しさや、女性の社会への再進出などの問題があって、せいぜい1人の子供が精一杯なのです。

これでは人口は減っていくのは当然なのです。

人口が減って困ること

皆が求めた豊かさの反動として人口の減少が起きているようですが、これはある程度経済が成長した国の宿命のようです。

世の中、因果応報、成るべくして成っているのです。

人口が減ってきたら、当然高齢化社会に突入するのですが、ところで人口が減ったら一体誰が困るのでしょうか、まず第一に困るのは日本の国です。

税収が落ちて、おまけに高齢者への医療費などの負担が増えてしまいます。

そして若い人が減ることにより、生産力が低下して、国力が弱くなります。

今までは先進諸国と肩を並べていたのに、どんどん落ちて行って、ついにはどの国からも相手にされなくなってしまうのです。

どんどん減っていく若い人達は、一人で何人ものお年寄りを支えていくという構造になり、結局は若い人もお年寄りも全ての人の生活が困難にっなってくるのです。

おっと、この記事を書いている最中にもニュースが飛び込んできましたよ、朝日新聞デジタル(2017/12/22)からです

「出生数、2年連続の100万人割れ、自然減は過去最多」

「一方で死亡者は増え、出生数を引いた自然減は過去最多の40万3千人になる見通しだ」

もうこれは、待った無しの状況で我が国を無蝕んでいるのです。

家族制度の崩壊

地方の農家で見られる、長男が跡を継ぐという家族制度は都会ではほぼ完全に崩壊しているという状況です。

都会では故郷を捨てきた者が新たに家を持ち、そこで生まれた子供は成長して新たな場所に住むようになるので、そもそも「継ぐ」というもの自体存在しないのです。

子にとっても両親が亡くなっていなくなった家は、売ってお金に換えておしまいです。

家族の大切さ

自分は生涯独身だから家族は無いと思っていても家族はあります。

それは自分の父と母、親戚、そしてたくさんのご先祖が全て家族なのです。

また、子供がいてもいなくても、たとえ夫婦だけでも立派な家族なのです。

この世の中は一人だけでは生きていくことが出来ません。

人間世界というものは、多くの目に見える方々と目には見えない方々によって成り立っていて、何か物事がうまくいかないような時には、案外身近な所がおろそかになっていたりするものです。

そして何かしようとする時には、目に見えることばかりに気を取られてしまいますが、実は目に見えない力を頂いて良い方向に動いているということもあり、その逆に悪い力をもらってしまって悪い方向に動いているということもあるのです。

ここで1つ言えることは、家族を大切にすることなく、いくら外に向かって努力しても、無駄な努力になってしまうことがあるということです。

父親は家族の者を守り、母親は家族の者を思いやり、子供は家族の絆を深くする、そのことを毘沙門天は家族の姿で常に訴えかけているのです。