毘沙門天

家族を守る、家を守る、家庭を守る、会社を守る…人には守るべきことがたくさんあります。守るということは、外敵を防ぐということであり、「男子家を出ずれば七人の敵あり」と言われるように、何処に行っても敵だらけの社会で、お人好しがバカを見ることの繰り返し、守るだけではダメで、攻めていかないとやられてしまうと感じている人は多いことでしょう。

私達の一つ下の世界には阿修羅の世界があって、実は阿修羅は私達よりもはるかに頭脳明晰、優秀で、どうして私達人間界より下にあるのかと思うけれど、実は阿修羅はとても優秀な故にプライドが高く、闘争心が強くて毎日争いばかりしているから、私達人間界より下にあるのです。

私達も阿修羅ほどではないけれど、プライドというものがあり、それを守るために戦っていることが多いのです。

戦って相手を打ちのめしてしまうことを勝利と言いますが、打ちのめされた相手にしても簡単に諦めることはありませんので、戦いの連鎖が止まることはありません。

常に真の戦いの相手は自分の心の中にあり、力づくで相手を変えようとしていることが問題なのです。こういう時には、まずは自分が変わることです、相手が例えば疫病神でしたら、力づくで追い出そうとしても無駄で、一度憑りついたら絶対に出ていきません。自分の立場が辛くなればなるほど、疫病神は喜ぶのです。

もっと苦しめ…

しかし、そういう時には毘沙門天の力は最強です。「毘沙門様、お守りください、よろしくお願いします、オンベイシラマンダヤソワカ」と願い続ければ、さすがに毘沙門天は力の神、疫病神も叶わないと思ったら、さっさと退散するのです。

信仰というものは、自らを守ることでもあります。自分が戦わずとも守ってもらえる、自分もやるべきことはやった上でお願いする、神様とはこういうお付き合いをすれば良いのです。