天皇とは

歳神様

天皇とは我が国における国民の象徴で、神代の国生みからの神々の系譜とされるが、第二次世界大戦の敗戦によって「現人神」(あらひとがみ)から「人間」として国民の象徴的地位に居られます。

戦前の神としての天皇

戦前までは天皇家は国家の神事を司り国の繁栄と国民の幸せを祈ると共に現人神として崇められていたので、チベットで言う所の「生き仏」として居られたのですから、当然人としての自由や楽しみなどが一切無く、自分のことは全く言わず、ただひたすらに国民の幸せを願うという神の立場を通して居られたのですから、普通の人では到底出来ない事を徹底して自分の人生を捧げた方なのです。

天皇家に生まれたら不自由のない生活が保障されますが、世のため人のために自分の人生を全て捧げる覚悟を持つ必要があり、普通の人に保障されている行動の自由や考え方の自由はありませんでした。

自由の国の象徴天皇

現代の天皇は人としての天皇であり、考え方も欧米化が進んでいますので天皇家も人としての自由を楽しまれるようになりましたが、それでも国民の象徴であり続けるには理想の家族であることが求められますので、行動や考え方に制限の多い生活を強いられるのです。

常に国民の理想の姿であり続けることはある意味自由が無い事ですから、庶民の娯楽が羨ましく思えるかもしれませんが、自らの立場を理解して、それを全うすることに一生を捧げる覚悟の出来た方なのです。

しかし欧米諸国の自由化の波はとどまることを知らず、国民が自由を満喫し、行動の自由が保障されている反面、個人化がどんどん進み、自分の権利ばかり主張する人が増えてしまうのです。

自由というものは行動の制限が無く、自分の責任で何でも出来る権利ですが、どうしても自分が主体になって、自分の権利ばかり主張して他人の権利がおろそかになってしまう傾向があります。

今のアメリカもそうで、貿易では自国の利益が最優先であるから、他国に対して不利益であってもそれに従いなさいという方針であり、自分と自分の国の利益が最優先なのは自由の国の当然の姿なのです。

神に仕える立場

天皇は戦前までは「現人神」(あらひとがみ)として神様だと信じられていました。

天皇は神であるから人間のような下品なことはしないし、トイレにさえ行かないと思っていた人も居るぐらいで、歴代天皇は神々の系譜を受け継いだ神聖なる神様として崇められていたのです。

もちろん皇族も神様の系譜ですから、下品なことは一切しませんし、選ばれた者しか皇族に関わることは出来ませんでした。

皇族に生まれた者は徹底した皇帝学と最高の教育を身に付けされて、上に立つ者としてふさわしくあることが求められ、神と国にお仕えするために一生を捧げる覚悟が必要なのです。

しかしながら神と国に一生を捧げるようなことは安易に出来ることではなく、自由な世界に居る私達では理解できないような暗黙の圧力との戦いだと思います。

今上天皇はそういった覚悟をお持ちですが、最近の皇室には自由化の波が押し寄せて皇室から離脱して自由になろうとする動きがあり、皇室が国民の非難の的になって、まるでお茶の間劇場、誹謗中傷の嵐になっていることは大変に悲しむべきことです。

皇室離れ

現在起こっている離脱婚騒動は皇室の品位を落とし、国民の皇室離れを起こすに十分な内容で、ニュースに対してコメントが自由に出来る時代ですから、ある程度の世論が分かりますが、皇室や皇族をボロクソに誹謗中傷するコメントがずらりと並ぶことは今回が初めてのことです。

皇族の女性の方が結婚して外に出られる時でも未だかつてこのような事態はありませんでした。

大体昭和生まれの私にとっては皇室や皇族をボロクソに誹謗中傷することなど考えられないことですが、時代の移り変わりで人々の考えは確実に変わっています。

天皇の稲刈り

今上天皇の稲刈り
NHKニュース2021年9月21日 19時06分

NHKニュースより画像お借りしました、リンク先がニュースです。

皇居にある約240㎡の田んぼに、今年5月に天皇陛下が自ら植えられた、もち米の「マンゲツモチ」と、うるち米の「ニホンマサリ」の稲穂が実り、長靴を履いて鎌を使い、9月21日に自ら収穫されたそうです。

天皇がお米を作る理由は自分が食べるためではありません「皇居の宮中三殿で行われる儀式」に使うためなのです、もちろん天皇も後で少しは頂くようです。

お米は神様への最上の御供物であり、古代よりお米の一粒一粒には紙が宿るというアニミズムの思想と、山川草木悉皆成仏という思想が流れているからです。

天皇は自分の幸せを願うのではなくて、国民の幸せを願い、神に仕える姿が米作りなのです。

我が国の伝統はこういった所で守られていて、それを守る方は身を捧げる覚悟を持っているからこそ、有難いと思うのです。

我が国でこういう覚悟を持った方が居なくなり伝統を守れなくなれば、破滅の道を歩むだけです。

天皇と出家

本来であれば僧侶は「出家」と言って俗世間から離れて、神仏に身を捧げる覚悟が必要なのですが、俗世間の煩悩にまみれて神仏を使って金儲けする僧侶や寺院が仏法を廃れさせてしまっています。

古来より天皇が引退して身を引いたら出家して法皇となることがありました。

法皇の名で呼ばれた最初は第59代宇多天皇です。

宇多天皇は、東寺で受戒の儀を経て、仁和寺に入って住職となりました。

以来、仁和寺は皇族が住職を務める格式の高い「門跡寺院」として繁栄していきます。

「門跡寺院」として有名な寺院は平安時代に

  • 嵯峨天皇の離宮として建立され、「嵯峨御所」と呼ばれた大覚寺(京都市右京区)
  • 鳥羽法皇ゆかりの青蓮院(同東山区)
  • 後白河法皇が門主を務めた妙法院(同東山区)

などが有名です。

天皇は元々神として崇められていたこともあり、神に仕える身として最後は出家して静かな余生を送ったのです。

民のために一生を捧げる方は尊敬される

今上天皇が国民の幸せを願うために一生を捧げられておられることは誰が見ても分かると思います。

そんなことは誰にでも簡単に出来ることではないが故に、大切な方として尊敬されるのです。

今起こっている離脱婚問題に対して皇室や皇族を非難していても離脱するご本人の気持ちは変わりませんし、がっかりするばかりです。

自由を選び、堅苦しい伝統を捨てる者も当然出てきますが、選択するのは本人の自由なのです。

○○様と呼ばれて公的な身分であり、一般民衆とは違う扱いを受け続けたにしても自覚が無ければ公的な身分はお荷物になるということです。

自分の意志で行動する者に対して強制的に道を変えさせることは出来ません。

家庭の中に於いても良い大学に入るようにとせっせとお金を使って勉強させても希望の大学に入ってもすぐに辞めてしまう人の何と多い事、そんなことのためにお金を使ったのではないと怒っても本人は「理想の世界ではなかった」の一言です。

「こんな子に育てた覚えはない」

「お金を稼ぐためにどれだけ苦労したか分かっているのか」

何を言ったところで本人には響きません。

しかしそういう私達も、人のことを非難するような正しい人間でしょうか。

自分のことは棚に上げておいて人のことばかり非難しているのではないでしょうか。

怒りの心に支配されていませんか?

人を恨んではいけませんか?

私達が本来生まれてきた理由は、魂を向上させるために一生を捧げることであり、本来であれば自由だと勘違いしていることも魂を汚すことばかりであり、もっと大切なことがあるのではないでしょうか。

今皇室で起こっていることは日本の将来を暗示していて、底辺である私達の家庭で起こっていることが積もり積もって上層部の崩壊に繋がっているのです。

上層部が崩壊しだしたら全体が崩壊してしまいますが、少なくとも気が付いた人だけでも崩壊に巻き込まれないように致しましょう。

日本が滅びてしまわないようにしましょう。

自分の家庭がバラバラにならないようにしましょう。