山川草木悉皆成仏とは

山川草木悉皆成仏

「山川草木悉皆成仏」とは「山も川も草も木も皆悉く仏に成る」という意味で、草木国土悉皆成仏、山川草木悉皆仏性などと言われ、山も川も草も木などの心を持っていない存在で、自らの意思で修行できない存在であっても仏に成れるという思想は、本来の仏教には無い思想です。

成仏について

成仏とは

人としての生を受けて修行して、悟りを得て仏に成った釈迦は「解脱」の境地に達した方であり、輪廻転生する迷いの世界である六道の世界の生まれ変わりの定めから脱することが出来た方です。

釈迦の悟りの状態は迷いや悩み苦しみなどが一切ない安楽の境地であり、悟りを得た釈迦はしばらくの間この境地を堪能し、悟りの内容を人に伝えるべきかどうか考えていたところ、梵天から是非とも迷いの境地にある衆生の救済には釈迦の力が必要であると懇願したそうです。

それほどに成仏とは困難で難解であり、選ばれた者でしか実現しないのですから、少なくとも悟りを得たいという心ある者たちの目指す境地であり、草や木の植物や山や川などの物質には悟りなど無理なように思えます。

輪廻転生について

六道のイラスト

輪廻転生とは地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界の六つの煩悩に満ちた世界を生まれ変わり死に変わりする魂のことで、六道の中で生きる者たちは、生前中の行いや過去の生き方などによって次の生まれ変わる場所が決まるとされますが、六道の世界ではどの世界でも苦しみがあって、六道の世界に居る間は永遠にの苦しみからのがれることが出来ないとされます。

釈迦は苦しみの世界から抜け出すには、この輪廻転生の世界から離脱する、即ち解脱するしかないと悟って修行を積み、やがて仏に成ったのです。

しかし修行を積んで仏に成ることが出来るのは六道に生きる者たちの特権であり、特に人間界では仏道の修行に適した環境なので、人間に生まれるということは仏に成るチャンスを与えられたということでもあるのです。

六道の輪廻転生には動物は含まれますが、植物は含まれません。

植物も動物も生き物ですが、植物には心や魂というものが無いと考えられるので六道に含まれていないと思われます。

六道に含まれないということは、仏教の世界では仏に成れないということです。

天台本覚思想について

厄除けのお札で角大師と言えば現代でも新型コロナの疫病除けとして注目を浴びているのは、元三大師とも言われる天台宗良源(912~985年)で、第18代天台座主であり、比叡山延暦寺中興の祖として知られいます。

良源の著した「天台本覚論」には、全ての人間には本来、仏に成るための智慧を備えているという「草木国土悉皆成仏」の思想があり、このような思想が広く解釈されて、ありとあらゆるものが仏性を備えているという考えを支えているのです。

アニミズムについて

我が国には元々、旧石器時代の狩猟民族であった頃から、食料としての動植物に不自由しないようにとの願いを込めての祭祀が古くから行われており、生き物の殺生に対する鎮魂と再生、そして生き物を司る神に感謝する祭りを行うことにより、魂が悪さをしないように願ったのです。

アニミズムとは

また農耕文化に於いてはコメの一粒一粒にも魂が籠り、米で作られた酒が神に対する最高の献上物であることから、神の力を頂くために酒を飲むのです。

秋の収穫祭も自然の中の神々に感謝して収穫を祝う行事です。

アニミズムは植物も含めた自然の中に魂が宿るという信仰です。

依り代について

依り代とは

依り代とは大木や巨岩、高い山などに神が降りてくるという考えで、神社や寺院に行きますと大きな樹にしめ縄が巻いてあったり、御幣が下がっていたりしているのが御神木と言われる樹です。

また神が降りてくる巨岩は磐座(いわくら)と言われていて、神が降りてくる、神が座る、或いは神が宿っていると言われています。

依り代とは

木や石などが神になる、神が宿るということは仏教では考えられないことですが、我が国ではアニミズムの影響で、或いは道教や神道の影響で受け入れられているのです。

位牌や神仏像も神仏や先祖が宿るための依り代です。

本来の仏教では神仏像を拝むことは偶像崇拝ということで禁止され、位牌も同じく禁止されます。

八百万の神について

我が国には八百万(やおよろず)の神が居ると言われ、何処に行っても神様が祀ってあり、家の中にも台所や風呂、トイレにまで担当の神様が居られるのです。

土地の神様、田畑の神様、収穫の神様、旅行の神様、お産の神様など数えきれない程の神々が存在していて、どの神様も大切に扱われてきたのは、私達の祖先がそういった神々を受け入れ続けてきたからなのです。

付喪神について

付喪神とは

付喪神(つくもがみ)とは九十九神という書き方もあることから、百に一つ足りない、つまり長い年月をかけて使った道具には魂が宿って夜になると動き出すというもので、中には神や仏になる道具も居るのです。

付喪神とは

壊れたヤカン、鍋窯、箒など生活に使った道具まで全てに魂が入って動き出すのは、我が国に古くから伝わる妖怪にも通じるものです。

日本の仏教では

我が国の仏教は釈迦の頃の純粋な仏教とはかなり違っていて、道教、儒教、神道、アニミズム、地域文化などの要素を取り込んでわが国独自の仏教になっています。

全ての命に感謝

私達の食生活はいろんな動植物の犠牲の上に成り立っているのですから、素直に感謝して多くの命を頂くということで「頂きます」と言うのです。

昔は米はお百姓さんが八十八の手間をかけて作ったのだから、一粒も無駄にしてはいけないということで、残すことは厳禁、お弁当を食べる時でも蓋に着いた米粒から先に食べるようにと親から習ったものでした。

米粒一粒にも命が宿っているのだから決して無駄にしてはいけないという考えは今の時代特に大切な考え方ではないでしょうか。

便利さと豊かさのために過剰生産して余ったら捨てるということで私達の生活は成り立っていますが、膨大な量の食料が捨てられる一方で、世界には飢えで死んでいく子供達がたくさん居るのです。

山川草木悉皆成仏とはあらゆるものが仏に成るというよりも、仏が宿っているという方が自然だと思います。