親鸞聖人とは
親鸞聖人とは平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて90年の生涯を浄土信仰に捧げた浄土真宗開祖の僧。
親鸞の生い立ち
承安2年(1173)日野一族有範(ありあけ)の子として生まれ、9歳で出家し比叡山で修行を続け、29歳の時に下山し浄土宗の開祖である法然の元に弟子入りしました。
法然の唱えた念仏は広く世間に行き渡り、多くの人に受け入れられましたが、法然の思いが民衆に広がっていくことに反して従来の仏教教団の反発を買うことになり、念仏禁止の受難の日々が続き、承元元年(1207)には法然の弟子の住蓮と安楽が院の女房と密通したという噂によって法然は四国に流罪となり、親鸞は越後に流罪となりました。
流罪先の越後で出会った恵信尼(えしんに)と結婚した親鸞はしばらくこの地で過ごした後常陸の国(茨城県)稲田に向かい布教活動を行う中で約20年の歳月をかけて浄土真宗の教団を形成していったのです。
62歳の時に家族と共に京に戻るも恵信尼とは離別した後は息子である善鸞(ぜんらん)とは教義上の不始末から縁を切るような波乱万丈の人生を歩みながら益々信仰の道を究め、弘長2年11月28日に90歳にて入滅しました。
浄土真宗の成立
親鸞は法然の教えを受け継いで「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ、なもあみだぶつ)の念仏を浄土門の真実の教えとし浄土真宗の成立につながります。
親鸞は南無阿弥陀仏の名号を阿弥陀如来からの「何の疑いもなく阿弥陀仏を信じて浄土に生まれてくることを思え」という呼びかけを聞いて信じ従う心が完成した時に往生が決まると説き、南無阿弥陀仏の念仏は浄土に往生するための修行ではなく、往生が決まったことに感謝する「報恩の行」であると説きます。
阿弥陀仏の本願によって与えられた「南無阿弥陀仏」を信じることによって極楽浄土に往生することが決定し、その後は只ひたすらに報恩感謝の念仏の日々を送れば良いのです。
浄土真宗の信仰
僧の身でありながら妻帯し、子供を設け、流罪の生活を余儀なくされて波乱万丈の人生を送った親鸞は「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と説く「悪人正機説」を説き、自らを愚かな凡夫であるとし、そういう人こそ仏は救いの手を差し伸べてくれるのだという信仰を説き、難しいことは何も無い、只仏に自分の全てを任せればよいという信仰へと発展したのです。
世の中には善人よりも悪人の方が多く、難しい教義を説かれても理解できない人ばかりです。
そういう人達に往生の道を説くには難解な法を説く高僧よりも民衆の中にあって共に悩み・苦しむ修行僧が情熱的に説く往生の教えの方が受け入れやすく、この人が救われるのなら私達も救われるのだという人達が集い、大きな川の流れのようになって広がっていくのです。